すべての人たちにフィットネスの恵みを【マッチョ編集長のマッチョコラム最終回】

テレビをつけると結果にコミットするCMが流れていて、電車に乗るとフィットネスとかヨガとかの吊り広告が目に飛び込んできて、駅に降りるとそこには大手ジムの看板が待ち構えている。ここ数年のあいだに、トレーニングなどカラダ関連、筋肉関連のパブリシティをかなりの高頻度で見かけるようになりました。それらは一般的な人たちの一般的な日常風景に違和感なく溶け込んでいます。

時代は変わったなぁ、と感じます。ぼくがトレーニングをはじめた30年ほど前は、まだ東京都内にもそれほどたくさんのジムはありませんでした。フィットネス施設といえば、有酸素系のエアロバイクやランニングマシンなどがフロアの大半を占めていて、端の方の狭いエリアにダンベルやらバーベルやらが置かれたスペースが設けられていました。そこは一般会員にとってはちょっと入りづらい場所で、ある程度の筋肉がある人だけが足を踏み入れることが許される“選ばれし者たちの聖域”なんて呼ばれたものです。

いってみれば、ジムに通って鍛えている人・イコール・非日常的な存在、でした。プロテインと筋肉増強剤を混同して考えてしまっている人も少なくはなく、ぼくも周囲の人たちからしょっちゅう「プロテインなんか飲んで、副作用は大丈夫なの?」なる質問を受けていました。

ほかにも「そんなに筋肉つけて意味あるの?」「なにを目指しているの?」などなど。このあたりは、トレーニングしている人ならばだれもが一度は言われたことがある“あるあるネタ”ではないでしょうか。

ようするに、ジム通いをしてカラダを鍛えている人は、一般社会では“ちょっと変わった人”扱い。そう尋ねてくる人たちに、逆に「そんなに太って意味あるんですか?」「なにを目指しているんですか?」と聞いてみたい衝動に駆られたこともしばしばです。

生物にとっての最大のテーマは子孫を残して、命を紡いでいくことです。人間が子育てという役割を終えるのは、早い人で40歳前後でしょうか。そのくらいの年齢の人は生物学的には不必要な存在なので、身体は自然と衰えていきます。内閣府発表のデータによると、1950年時点での日本人の平均寿命は男性が58歳、女性が61.5歳。その数字は、年代をさかのぼっていくにしたがって低くなっていきます。

ただ、生物学的には不必要でも、40代、50代はまだまだ働き盛り。社会学的には必要な存在です。さらに、現在は“人生80年”の時代。成長過程にある時期よりも、衰えはじめてからの人生のほうが長いのです。

立ち上がる、歩く、走る、ものを持つ、座る…。人の身体動作はすべて筋肉が動くことによって遂行されています。筋肉は使わなければ使わないほど減少します。反対に、使うことで増やす、もしくは維持することができます。筋肉がある一定量を下回ると、人は立ち上がれなくなります。立ち上がれなくなると、さらに身体を動かさなくなるので、より筋肉量は減っていきます。負のループのはじまりです。

健康のために運動したほうがいい。そんなことはみんなわかっています。ただ、現代人は運動する機会を次々と奪われていきました。和式トイレにしゃがむ行為はフルスクワット、雑巾がけは二の腕を鍛えるフレンチプレスの動きとほとんど同じ。どちらも現代社会からは消えつつある動作です。運動する機会は減っているのに、平均寿命は延びていくので、さあ大変。ここでさきほども質問です。

「そんなに筋肉つけて意味あるの?」
「なにを目指しているの?」

いまでは“選ばれし者たちの聖域”でトレーニングに励む女性の姿も珍しくはなくなりました。ジムによっては、ボディビルダーが重たいダンベルを担いでいる、そのすぐ横で近所のマダムたちがマシントレーニングを行っているという光景に出くわすこともあります。

身体を鍛える、ということが特別な人たちだけのものではなくなりました。コンビニに行けば、プロテインドリンクなんてものも売られています。24時間営業のジム、イチから教えてくれるトレーナーの数も増えてきました。その人の目的やライフスタイルに合わせてジムや指導者などが選べる環境が整ってきました。「鍛えることの意味」よりも「鍛えない理由」を探すほうが難しいのではないでしょうか。

おじいさん、おばあさんが散歩するような感覚でダンベルを持つ。そういう世の中がくればいいなって思います。

すべての人たちにトレーニング、フィットネスの恵みを。

VITUP!のバトンは佐久間一彦・新編集長に手渡します。