日本トレーニング史① 若木竹丸と井口幸雄の時代

トレーニングブームと言われる昨今。ジムなどの施設で多くの人がバーベル、ダンベルを手にして汗を流すようになったものの、いったい日本人はいつごろからウエイトトレーニングを行うようになったのか。本稿ではその歴史を紐解いていく。

明治、大正時代のトレーニングブーム

日本のボディビル創成期を語るときには、まず怪力・若木竹丸の名前が出てくる。

若木は1911年生まれで昭和13年(1938年)に「怪力法並びに肉体改造体力増進法」(第一書院発行)を出版して、肉体づくりの火付け役となった。この若木が憧れたのがウエイトトレーニングで肉体美を誇ったユージン・サンドウ。そのサンドウを明治33年(1900年)に日本に紹介し「サンダウ體力養成法」という本を出版させたのが、講道館柔道を創始した嘉納治五郎だった。

嘉納は西洋の軍人の体格と比べ、日本の軍人の体格が著しく劣っていることを憂えてサンドウのトレーニングを日本に広めようとしたのだ。

同書では鉄アレイを使った筋肉トレーニングを紹介し、日本人は大いに触発されて大ブームとなった。しかし、サンドウは大正14年(1925年)に大動脈瘤で57歳という若さで死去。サンドウの評価は落ちて、ブームは徐々に下火になっていった。

「怪力法並びに肉体改造体力増進法」の出版

昭和に入ると国際社会が緊迫。日中戦争がはじまると全国的に体力増進が叫ばれるようになった。そんな時期に若木竹丸の「怪力法並びに肉体改造体力増進法」は出版。時期的にも同書は大いに売れた。

その序にはこう書かれてある。
「国家の非常時に国民の体力増進をはかり、健康日本を建設する必要がある。従来の知育体育徳育の順番を変更して、第一に体育、そして知育徳育とすることを希望する。過去の日本は国民皆兵、軍国といわれながら、なぜか体育を軽んじていた。世界はいま体育に血眼になっている。それは戦時に備えるための体育である。日本も国を挙げて体育健康に邁進しなければならぬ時である」(*筆者、原文を意訳)

同書には鉄アレイ運動法のほかに椅子式運動法、また自転車の古いゴムチューブを利用した自転車チューブ運動法、さらに自動車チューブ運動法もあって、なかなか工夫されている。非常時に必要な肉体づくりをしなければ国家のためにならないという強い意気込みが感じられていて興味深い。怪力法という名前も面白いが、それも若木の意気込みの表れだろう。ともあれ、若木の見事な肉体を見れば、怪力法という名前が付けられても頷けるものだった。

また、ウエイトリフティング界には井口幸雄(元ウエイトリフティング協会理事長)が現れた。井口は昭和11年(1936年)、第1回日本ウエイトリフティング選手権フェザー級で2位以下とダントツの実力差を見せつけて優勝。敗戦後の昭和26年(1951年)、初の国際大会であったアジア競技大会でも3位になった。井口は健康法としての鉄アレイ術を工夫し、また近代スポーツ競技として日本ウエイトリフティングの開拓者としても称えられた。

昭和初期に現れた若木竹丸、そして井口幸雄の2人。
西洋人に比べて体格的に目ざましく劣っていた時代に「日本人でもがんばれば西洋人に負けないんだ」と大いに発奮させたのは言うまでもない。
文・安田拡了

参考資料…「怪力法並びに肉体改造体力増進法」