日本トレーニング史⑥ 第1回ミスター日本開催




1956年1月14日、日本ボディビル協会主催で第1回ミスター日本ボディビルコンテスト(神田・共立講堂)が開催された。ときはボディビルブーム。大会の後援には文部省、厚生省、東京都がついて、朝日、読売、毎日など新聞各社の記者カメラマンたちが詰めかけ、大いに盛り上がった。

翌日の新聞には掲載されてはいないが、各社のグラフ誌には大きく掲載されて、ミスター日本というボディビル王者の名称も一気にメジャーになった。

初代ミスター日本の栄冠を獲得したのは19歳のサラリーマン(電源開発勤務)、中大路和彦氏で身長164㎝、体重68㎏、胸囲110㎝。ボディビル経験は1年半という若者だった。アサヒグラフ1月29日号(朝日新聞社発行)は「逆三角形の美男」というタイトルでこう書いている。

「ボディビルブームの波に乗って、逆三角形の筋肉美を競い合う“ミスター日本”の選出大会が1月13日(原文ママ)東京神田の共立講堂でひらかれた。名乗りを上げた180人の参加者のうち、書類選考、予備審査をパスして晴れの舞台を踏んだのは30名。七割が学生で、サラリーマン、工員をまじえ、いずれ劣らぬ男性美の競演は、さながら生きた彫像の展覧会であった。このコンテストは、昨年暮れに生まれた日本ボディビル協会の発会を記念した行事だけに、審査席には会長の前厚相川崎秀三氏をはじめ、芸大教授野口三千三氏、体協医事部委員の水野四郎氏など大物十名が顔をそろえ、筋肉、均整、ポーズ、柔軟性、運動能力の五項目にわたってこと細やかな採点を行った。体一面オリーブ油で光らせた選手諸君は、赤、黒、緑、青、濃茶など、色とりどりのパンツ姿で舞台を飾り、力演が三時間。結局十九歳のサラリーマン、中大路和彦君が総点八十八点中、七十八点をあげ、ミスター日本の栄冠を勝ちとった」

準優勝で準ミスター日本となったのは早稲田大学バーベルクラブの杉浦清太郎氏で18歳。3位は立教大学の学生でYMCAで体を鍛えていたという21歳の広瀬一郎氏(広瀬氏は第2回大会でミスター日本に輝いた)。

注目すべきはボディビルは男性だけではなく、女性にも波及していったことだ。アサヒグラフ4月8日号で詳報しているのは兵庫県の洋裁学校の生徒たちも「ボディビルの会」をつくってボディビルをやり始めたという記事で、バーベルを挙げている写真と太めの女性が腹筋を鍛えている写真などが掲載されている。今で言う健康ダイエットにつながる運動と解釈していいだろうか。

さて、早稲田バーベルクラブ設立から、わずか数年で協会を設立し、ミスター日本ボディビルコンテスト開催まで牽引してきた玉利齊だったが、バーベルで体を鍛えていけばウエイトリフティング競技に興味も出てくるようになるため、体を鍛える目的のためにバーベルを利用しているボディビルとの関係をどうしていくかという点で悩んでいたのだ。

予測していたとはいえ、玉利が早大を卒業した途端、本家本元の早大バーベルクラブがウエイトリフティング部になってしまった。やはり、ウエイトリフティング競技に参加したいという者が増えたからだ。バーベルクラブは1962年に復活したが、結果的にボディビルディングとウエイトリフティングの2つの方向に分かれ、しばらくの間、お互いの協調が求められるような微妙な対立を生んでいった。

文・安田拡了