50歳になっても闘える体を作り上げてきた自負はある
――4月24日に50歳の誕生日を迎えた永田選手ですが、20代のときに50歳になっても現役で闘っている自分を想像できましたか?
永田:僕がプロレス界に入ったときの50代というと、アントニオ猪木さんが、50歳になった頃で、あとはマサ斎藤さんも50代でした。そういう先輩たちもいたので、やり方によっては50代でもできるんだろうなとは思っていました。ただ、20代のときは、自分が50歳になったときの姿は想像できませんでしたね。太く短くではないですけど、もう少し早い段階で体にガタがきて退いているかなと。
――実際、50歳になってみてそれほど衰えを感じずにできている印象ですか?
永田:50歳になったらフルで試合に出場するのは大変かなと思っていましたけど、自分が50歳になってみると、全然大丈夫でした。体のケアとかメンテナンス、トレーニングに関しては自分なりに工夫してやってきたつもりなので、50歳になっても闘える体を作り上げてきたという自負はありますね。
――20代、30代、40代とキャリアを積んできて、その時々で練習メニューや生活の仕方は変化してきましたか?
永田:そこは確実に変わりました。20代の新人の頃は、常に与えられたメニューをやるだけで精一杯でしたから。とにかくプロレスに入って何がすごかったかと言ったら、基礎体力トレーニングの量が異常に多い。たしかにあれをやっていれば筋線維が太くなって体は大きくなると思いますよ。
――永田選手は名門の日体大レスリング部を経て新日本プロレスに入りました。日体大でもハードなトレーニングを積んでいたと思いますが、それでもプロレスの基礎体力トレーニングは違いましたか。
永田:同じ汗の量をかいても、トレーニングメニューの質がまったく違うんです。基礎トレーニングの回数が尋常じゃないんですよ。
――よくプロレスはスクワット1000回、プッシュアップ1000回がウォーミングアップの世界だと言われますね。
永田:その通りですね。プッシュアップも腹筋も回数が普通のレベルではないです。ヘタしたらスクワットだけで30~40分やっている感じですから。大学でやっていたときとは数が違いましたね。
――ものすごい回数をこなすのが20代の若手時代だったわけですね。
永田:入門してから7年間はフルスクワットでやっていて、その後にヒザを痛めてからはハーフスクワットで7年間。だから合同練習でのスクワットは26年中14年しかやってないんです。それ以降はランニングに切り替えました。
――それはご自身の判断で?
永田:痛めてから右ヒザが曲がらないので、スクワットを続けていると逆に良くないなと思って、下半身に関してはランニングやエアロバイクに切り替えましたね。
――その辺は体と相談しながら変化していったということですね。
永田:そうですね。でもスクワットからランニングに切り替えたら、リングでの足さばきは逆に良くなったんですよ。スクワットを1000回やれば筋肉はパンパンに張るんですけど、年齢とともに回復力が落ちてきます。そうすると、回復しないなかで毎日スクワットをやるのはきつい。ランニングだとスクワットとは違う筋肉を使うし負荷も違うので、脚にダメージが残らないんです。それに有酸素運動なのでスタミナもつきます。ランニングにしても一定のペースで走るだけではなくて、強弱をつけるようにしています。ダッシュをして、その後にはゆっくり走ってという感じで、インターバルトレーニングのようなランニングを30~40分続ける感じです。
――それは心肺機能も高まりそうですね。
永田:いい具合に汗もかいて心肺機能も高まりますね。
新日本プロレス所属。1968年4月24日、千葉県出身。アマチュア時代はグレコローマンレスリングの選手として活躍し、92年に全日本選手権で優勝。その後、新日本プロレスに入門し、92年9月14日、山本広吉戦でデビュー。01年に武藤敬司を破ってG1クライマックス初優勝。02年に安田忠夫からIWGPヘビー級王座を奪取すると、当時の最多防衛記録となる10連続防衛に成功した。現在は全日本プロレスの秋山準とともにアジアタッグ王者に君臨する。