青春のほろ苦い記憶。だからボランティアをやりたい【佐久間編集長コラム「週刊VITUP!」第43回】




VITUP!読者の皆様、こんにちは。日曜日のひととき、いかがお過ごしでしょうか?

今年もあと10日を切りました。年が明ければ2019年、プレ・オリンピック・パラリンピックイヤーです。12月21日が応募の期限だった、東京2020オリンピック・パラリンピックのボランティアに申し込みました。採用されるかどうかはわかりませんが、ぜひとも大会をサポートできればと思っています。

2020年のオリンピック・パラリンピックの東京開催が決まって以降、私はメダル獲得が有力視される選手たちを数多く取材してきました。

阿部詩(柔道)、阿部一二三(柔道)、池江璃花子(水泳)、伊藤美誠(卓球)、植草歩(空手)、上地結衣(車いすテニス)、西藤俊哉(フェンシング)、清水希容(空手)、白井健三(体操)、登坂絵莉(レスリング)、楢﨑智亜(スポーツクライミング)、羽根田卓也(カヌー)、張本智和(卓球)、ベイカー茉秋(柔道)、松山恭助(フェンシング)、水谷隼(卓球)、桃田賢斗(バドミントン)……etc(五十音順)

ざっと名前をあげてみても錚々たる面々です。こうしたトップアスリートの取材を通じて、競技以外の部分で考えさせられることが数多くあり、サポートする側の重要性を感じていました。また、自分の選手時代の経験からもボランティアをやってみたいと思ったのです。

スポーツの大会には数多くのボランティアの人がかかわっている

オリンピック・パラリンピックに限らず、スポーツの大会はたくさんの人の協力によって成り立っています。学生時代、自分が出場した大会で、とくに思い出深いのが高校3年のときに出場した東四国国体です。周りの人の温かさと自分の不甲斐なさでほろ苦い思い出として、記憶に刻まれています。

レスリングの試合会場となったのは徳島県の池田町。山に囲まれた小さな町で、選手が宿泊するホテルの数が足りないため、民泊となり普通の家庭に宿泊しました。このとき私は、大学の推薦入試の翌日が計量という日程となってしまい、当初は出場辞退を申し出ました。ところが国体は学校の代表ではなく県の代表ということもあり、県のレスリング協会に押し切られ、半ば強制的に出場することになったのです。

試験勉強のため練習不十分。減量をしながらの試験&面接。一人だけチームとは別行動。見ず知らずの人の家への宿泊。心身ともに闘う状態に仕上がらず、試合はあっさり初戦敗退。無理やり出場してやる気も出なかったため、悔しさもありませんでした。

民泊期間は計量日から大会日程終了までの5日間。当然ホストファミリーの皆さんとも会話をする機会がありました。最初はホテルではなく民泊という環境に、「こんな環境でまともに試合ができるか!」と不満たらたらでしたが、それが大きな間違いであることに気づかされます。

大会期間中でもホストファミリーの方々にも生活があります。それにもかかわらず、選手である私たちを最優先に考え、会場への送迎をはじめ、食事の用意やお風呂や布団の用意。洗濯機も優先的に使わせてくれます。あとで知ったことですが、私が出場するフリースタイルの日は、仕事を休んでホストファミリーのみんなで応援に来てくれていたのです。

私があっさり負けた翌日、ホストファミリーのおじいちゃんが特別競技のゲートボールでメダルを獲ったことを嬉しそうに報告してくれました。

「佐久間くんが頑張っているのを見たから、私も頑張れてメダルを獲れたよ。昨日は残念だったけど、監督さんが佐久間くんはすごい選手だって言ってた。将来はオリンピックに出られるといいね。それまで私も元気でいないとね」

こんな会話だったと記憶しています。前述したように私はまったくやる気が出ない状態で試合をしていました。その事実が情けなく、恥ずかしく、申し訳なく、いたたまれない気持ちになり、何も言えませんでした。

大会の全日程を終えた日に、神奈川県チームを迎え入れてくれた町内会の方々と選手団のお別れ会が行なわれました。どうしても黙ったままではいられず、この席でおじいちゃんに「自分は頑張っていない」「やる気のない試合をした」ということを伝えました。そんな私に対しておじいちゃんはこう言ってくれました。

「頑張ってない人が国体になんか出られるわけがない。いつも一生懸命頑張ってきたことはわかるから」

その言葉があまりにも温かくて涙をこらえるのに精一杯でした。選手だから偉いわけではない。温かい気持ちで身を粉にしてサポートしてくれる方々がたくさんいるから、試合をすることができる。周りの人のありがたさを本当の意味で知った瞬間だったかもしれません。

思い返せばいつも大会にはたくさんのボランティアの方々が関わってくれていました。自分が出場した試合に限らず、取材の立場になってから訪れた会場でも、たくさんの人々が大会を支えるために汗を流している姿を見てきました。こうした方々が試合に集中できる環境をつくってくれるから、選手たちは自分のパフォーマンスのみに集中することができるのです。これまで取材させてくれたトップアスリートをはじめ、代表になる選手たちは最高の準備をして、最高のプレーを見せてくれるはずです。だとしたら、そうした姿を見てきた私がやるべきことは、すべての国の人がハッピーになれるように、できる限りのサポートをすること。そう考えるようになっていました。

記事を書いてお金をもらうのもいいけど、ボランティアとして大会に触れることで、お金では得られない人生の財産を得られるかもしれない。世界から来る人たちに日本の良さを知ってもらい、喜んでもらえることこそが、最高の喜びであり最高の報酬ではないでしょうか。

ボランティアの時間は8時間の予定。前後の時間で仕事もしっかりやるし、トレーニングも普段通りにやるつもりです。2020年はきっと体力勝負になるから、日頃から鍛えているのです。

 

 

佐久間一彦(さくま・かずひこ)
1975年8月27日、神奈川県出身。学生時代はレスリング選手として活躍し、全日本大学選手権準優勝などの実績を残す。青山学院大学卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。2007年~2010年まで「週刊プロレス」の編集長を務める。2010年にライトハウスに入社。スポーツジャーナリストとして数多くのプロスポーツ選手、オリンピアンの取材を手がける。