行動療法としてヨガと出会う
――先生はどのようにしてヨガと出会ったのですか。
私は事業協同組合で事務局長を務めていたことがあるのですが、そのころに自律神経失調症になり、さらにはパニック発作を起こすようになったのです。いろんな神経内科に通い、いろんな治療を受けていったなかで、行動療法の一つとして出会ったのが、今でいうベリーダンスでした。ダンスをもっとうまくなりたという思いから、トレーニングの一環でヨガを始めたんです。
――ヨガのトレーナーになったキッカケはなんだったのでしょう。
私がヨガを習い始めたのは例のオウム事件が起こったころで、まだ「ヨガ道場」と呼ばれていた時代でした。全米ヨガアライアンスも設立されていなかったころです。そこからしだいに通い詰めるようになり、とんとん拍子で準師範、師範となり、スポーツジムなどで指導するようになりました。でも、あるときギックリ腰を起してしまったんです。ヨガを実践しているのになぜギックリ腰を起したのだろうと考え、そこから模索・研究し、現在に至っています。
――ACO先生は「ヴィンヤサヨガの草分け的存在」と言われています。
ですが、当時は「ヴィンヤサ」という言葉はありませんでした。「アシュタンガ」「アイアンガ」という言葉も普及しておらず、「ヨガ」、そして「フィットネスヨガ」「リラックスヨガ」「パワーヨガ」といったような呼ばれ方をしていました。
ブレのなかで自分の内側と向き合う
――どのようにしてヨガを学ばれていったのでしょう。
当時のヨガ道場には現在のようなドリル化されたテキストはなく、座学が中心でした。また、今とはカテゴライズも違っていました。体位法、体をメインにした動きはすべてハタヨガに分類されていました。
――先生が主宰されているテンセグリティー・ヨガのテーマでもあるところですね。
はい。修正しながら調整しながら持続可能にしていくことをテンセグリティー・ヨガでは学ぶんですね。免震構造と一緒です。何においても、不動の状態を維持するというのは不可能です。どこかで必ずブレが生じます。そのブレのなかでポーズを取りながら、自分の内側を観察する力と外側を観察する力が一緒になったとき、すなわち「陰」と「陽」が一緒になったときがテンセグリティー・ヨガの目指すところです。でもそれはほぼ不可能なことなんです。「陰」と「陽」が一緒になるのはほんの一瞬だから、その一瞬を常に目指しながら、呼吸や重力、内観、外の世界との関係性など、さまざまなもののバランスを修正しながら全身を整えていくのです。
――まるで哲学のようです。
ヨガとはもともと哲学なのです。それが汎用化していく段階で、さまざまなポーズや突出したスタイルとして流行っていったわけですが、私にとってヨガはいろいろなものに通用する普遍的な哲学です。
――「ヨガを受けたらどうなるのか」というより、「ヨガを実践して自分がどうなりたいか」ということのほうが大事なように思えてきました。
スポーツをやっている人であれば、競技の試合前に落ち着きを取り戻すために活用できます。呼吸法であったり、メディテーション(瞑想)でポジティブイメージトレーニングをするためであったり。実際、ボクシングの選手のなかにはヨガのパーソナルトレーナーをつけている人も少なくありません。これからヨガを始めてみようと思っている方も、あまり型にはこだわらず、どんどんとやってほしいと思います。
取材・文/安 多香子 写真提供/テンセグリティー・ヨガ事務局
1961年、愛知県名古屋市出身。ACOYOGA代表。愛知大学法経学部経済学科卒業。米国オレゴン州ポートラド州立大学心理学部卒業。ヨガ道場にてハタヨガを学んだ後、内外のスタジオ、ワークショップ、TTにて各種ボディーワークを習得。日本におけるヴィンヤサヨガの草分け的存在として多くのインストラクターに影響を与えている。20年以上にわたる指導経験の後、行き着いた現在のスタイルを「テンセグリティー・ヨガ」と名付け、ボディーワークで学んだ知識を随所に入れて、自己安定能力を引き出しながら全身の気のバランスを調えるアプローチを開発中。2013年からテンセグリティー・ヨガの指導者養成講座を全国主要都市で開催。近年は陰ヨガの普及にも力を注ぐ。
ACOYOGA