そんな坂井プロデューサーの感性をくすぐる人たちを紹介するこのコーナー。第1回目は、電流爆破もやっちゃう元アイドル、中野たむが登場。キュートなのにムキムキ。女優レスラーとしてデビュー後、なぜか大仁田厚の後継者となった彼女の奇妙な履歴と、そのトレーニング内容に迫る。
――現在は女子プロレスラーとしての活動が中心ですが、そもそもは、プロのダンサーだったんですって?
中野 そうですね。3歳でバレエを始めて、高校を卒業してからは、ミュージカルの専門学校に行って、演技、歌、ダンス、マイムや歴史まで、全部学びました。人前で表現するというのがライフワークなんで、学校を卒業してからはそのまま舞台で、ダンサーをメインで活動してました。
――幼いころから、運動神経がよかったんですか?
中野 ぜんっぜん! 最悪でしたっ。通信簿は5段階で、ほとんど「5」だったんですね。けっこう優等生で(苦笑)。けど、体育だけ「2」。運動だけは苦手で。ダンスと運動神経って、たぶん違うんでしょうね。体育の授業は、大っ嫌いで、長距離走も、いつもビリから2番目。50m走は、今でも11秒かかります。遅いし、体力もないし。
――それでもプロレスラーになれたんだから、たいしたもんです。3歳から人前に立っていたということは、目立つことに抵抗がなかったということ?
中野 そうですね。いつも学級委員でしたし。でも、「たむちゃんがいいよ!」って言われるんじゃなくて、「学級委員をやりたい人」って聞かれて、手を挙げるみたいな。リーダーみたいなのは、好きだったかな。
――で、ダンサーのあとは?
中野 そのときの芸能事務所のマネージャーから、「たむちゃん、アイドルをやらない?」って声をかけられたんです。正直、自分にアイドルは絶対に無理だって思ったんですね。アイドルって、みんながみんなじゃないですけど、ブリっ子が必要だし、愛嬌もいる。けど、自分は人に愛想を振りまけないし、媚びることもできないから、断ったんです。でも、よくよく考えると、人前で歌って踊るのは、私がやりたいことと変わりはないのかなぁと。食わず嫌いもよくないと思って、挑戦してみました。
――そのアイドルグループが、カタモミ女子。フジテレビ系の『ザ・ノンフィクション』で2度にわたって特集され、とても話題になりました。
中野 あのときのリーダーが、私です。映像のなかで、「カタモミ女子の6人は卒業します」って言ってるのが、私。あの撮影時は舞台の仕事をしてて、お店に出られていないときだったんで(※カタモミ女子は、東京・秋葉原にあった肩のリフレクソロジー店で働きながらアイドル活動をしていた)、あんまり映ってないんですけど、反響はすごくありましたね。私の芸能活動史上、一番の反響かも。あの放送、実はメンバー4人で一緒に観てたんですね。その日の夜はライブがあったんで、見終わってから駅まで歩いてたら、「今『ノンフィクション』に出てた子が○○駅で歩いてた」って、もうツイートされて。テレビって怖い~って思いました。今でも、「カタモミ女子でした」っていうと、「あー、『ノンフィクション』の子ね」って言われますし。
――50歳を過ぎた独身男性が、地下アイドルに没頭するドキュメンタリーは、衝撃的でした。そして、そのアイドルからどのようにして、プロレスの道に?
中野 カタモミ女子と並行して、インフォメイトというアイドルグループ活動もしていたんです。そのタイミングで、プロレスを題材にした舞台に参加させていただいて、それが、女優がプロレスもやるという“アクトレスガールズ”。そこで、代表から声をかけていただいたんです。
――抵抗は、ありませんでしたか?
中野 プロレスに苦手意識があったんですけど、アクトレスガールズの試合を観たとき、たった10分ぐらいの試合で、映画1本を観たぐらいの感動があって。これってエンターテインメントの最高峰なんじゃないかと思って、考えが変わりました。これだけ人に感動を与えるんだから、痛いとか怖いとかのリスクはあって当たり前かなぁと。
――ちなみに、ダンサー時代は、どんなトレーニング方法でしたか?
中野 プロレスラーのように、マシンを使って筋肉を大きくしちゃうと、体に負荷をかけるので、やりませんでした。しなやかな体が求められるので、ダンスをしていくなかで、必要な筋肉だけをつけていくという感じです。ストレッチに近い筋トレというのかな。私の原点であるバレエのバーレッスンなどで、ひたすら自分の体を伸ばしていく。上下、あと左右に。同時に基本的には、体幹を鍛えていくものです。
――“しなやかな体”。次回は、そのつくり方を教えてもらいましょう。
聞き手/伊藤雅奈子 撮影/神田勲
<取材協力>
ヒロ鍼灸整骨院