だが、筋肉界的に言う超高校級選手は、彼ら3人ではない。全国高校ボディビル選手権大会3連覇の期待がかかる、日本大学高等学校3年、相澤隼人だ。
英語には、revelationという単語がある。辞書を引けば、「暴露」、「啓示」、大文字のRevelationなら「黙示録」といった訳が出てくるが、「新発見」や「新事実」などの意味もある。スポーツ界では、突如出現した驚異の新人に対し、この語が使われることがある。
高1で全国高校ボディビル選手権を制した筋肉界のrevelation相澤隼人は、どのように覚醒し、どんなトレーニングを行い、そしてどこに行こうとしているのか? 17歳のスーパー高校生の素顔に迫る。
――まず、スポーツ歴を教えて下さい。
相澤 小学4年生のときに柔道を始め、中2のときに、神奈川県の新人戦の60kg級で優勝しました。高校では、高校選手権とインターハイの予選で3位、国体予選ベスト8です。
――高校では、どの階級で出場していたのですか?
相澤 73kg級です。高2のときに、66kgで出たことがあるのですが、水抜きをしたりして、絞りすぎでコンディションが悪くなりました。バリバリ(※)でしたね。柔道着じゃなくて、「違うもの着ているんじゃないか?」みたいな感じでした(笑)。それで、その後は73kgにしました。
――初めてウエイトトレーニングを行ったのは、いつのことだったのでしょう?
相澤 中1の9月です。ルネサンス相模大野店に入会しました。たまに大和店にも行っていました。大和店には、2014年の日本ボディビル選手権大会3位の、山田幸浩さんが勤めていらっしゃいます。
――最初は柔道の補助ですか?
相澤 そうでしたが、当時から「柔道は柔道、トレーニングはトレーニング」という感覚でした。趣味のトレーニングというか。
――初めて使ったマシンは?
相澤 チェストプレスマシンです。「効くという感覚はこれか!」みたいな感じでした(笑)。胸がはち切れる感覚というか。当時は何も考えず、全身を毎日やっていました。
――初めての大会出場はいつですか?
相澤 中2のとき、神奈川オープン選手権に出場しました。
――早!
相澤 見にきていた人から、「君、本当に13歳なの?」と言われました。
――それ、普通の反応です。結果は?
相澤 1次は通ったんですけど、2次で落とされました。そのときは、体を絞りもせず、興味本位で出てみたという感じです。単にステージに立ちたかったんですね。2回目の出場は中3のときで、8位でした。
――興味を持つに至ったのは、何か影響があったのでしょうか?
相澤 5歳違いの兄が、大学のボディビル部に所属していて、学生選手権に出場していました。柔道を始めたのも、兄の影響です。
――「マッチョ29」のメンバーで、双子のお兄さんですよね?
相澤 そうです。小学生のときは、プロレスごっこをして、一緒にプロテインを飲んでいました。3人で「ああいう風になるんだ!」という感じで(笑)。プロテインを飲めば、プロレスラーみたいになれると思っていたんです。ちなみに、そのさらに上に、もう1人兄がいるので4人兄弟です。
――その頃から家にプロテインがあるということが驚きです。
相澤 初めてプロテインを飲んだのが、小2のときでした。缶に入ったザバスのプロテインです。その頃から、家で自重トレーニングはしていましたね。小4のときに初めてゴールドジムのプロテインを買いました。
――ゴールドジムとつながるの、早いですね。ある意味、早熟です。
相澤 小4のとき、自分で「行きたい!」と言い出して、ゴールドジムの見学に行ったことがあります。
――小学生は立ち入り禁止だと思います。
相澤 スタッフの方から、「高校生になったら来てね」と言われたので、高校生になってから行きました(笑)。あ、中学生のときに、職業体験をしたのはルネサンスでした。
――プロレスラーになろうとは?
相澤 いえ、それはなかったです。プロレスは、テレビ番組を見たそのときだけ盛り上がる、まあイベントみたいなものでした(笑)。
小学生の時点から、ボディビルの道にまっしぐらである。柔道でも好成績を収めているが、畳よりもステージの上に立つ方が、進む方向として自然と感じる。
次回は、スーパー高校生相澤隼人の、まったく高校生らしくないトレーニングを紹介する。
(※)バリバリ…体脂肪が極限まで削ぎ落され、皮が筋肉に張り付いているような状態を指すボディビル用語。
取材・文/木村卓二
1999年10月21日生まれ。神奈川県出身
トレーニング歴 5年
大会成績
2014年神奈川オープンボディビル選手権 8位
2015年全国高校生ボディビル選手権 優勝
2015年日本ジュニアボディビル選手権 8位
2016年全国高校生ボディビル選手権 優勝
2016年日本ジュニアボディビル選手権 5位