【鉄人アスリート】ボート・武田大作①




スポーツ界の鉄人を紹介していくこのコーナー。今回登場するのは、オリンピックに5大会連続出場を果たし、東京2020オリンピックを目指すボート界の鉄人・武田大作選手。あくなき向上心を持ち続ける、レジェンドの生きざまに迫る。

山の中で育ち、自然と体力がついた
“海への憧れ”でボートを始めた

武田大作選手は1973年生まれで、今年12月に45歳の誕生日を迎える。1996年のアトランタオリンピックに23歳で初出場を果たし、以後、シドニー、アテネ、北京、ロンドンと5大会連続出場。誰もが認めるボート界のレジェンドだ。今ではすっかり海の男という印象だが、元々は山育ちだった。

――武田選手のご実家は愛媛のみかん農家だそうですね。

武田:そうです。これが今でも競技をできている理由の一つかもしれないですね。

――それはどういうことですか?

武田:小さい頃から山でひたすら走り回っていました。周りがすべて山なので、遊び=クロスカントリーみたいなものでした。みかん山を登ったり下ったりを繰り返していて、それで足腰が強くなって、柔軟性も養われたと思います。

――山登りが普通の生活だったのですね。家のお手伝いなどもされましたか?

武田:やっていました。みかんをキャリーで運ぶのは力が必要ですし、1年間に何千箱と上下させているわけなので、必然的に力も柔軟性もつきました。農作業ってひたすら動き続ける仕事なので、言ってみれば有酸素運動なんですよね。有酸素運動はボートにすごく必要なものですし、家の手伝いをしていたというのは、後々にも大きな影響があったと思います。あとは家から小学校がすごく遠かったんです。

――どれくらい離れていたのですか?

武田:片道約4㎞です。小学1年生のときから4㎞歩いて行って、また4㎞歩いて帰ってくる。それを6年間続けていました。

――それは普通に生活しているだけで基礎体力がつきますね。

武田:今だったらバスで通学のエリアなんですけど、当時はバス通学ではなかったのでずっと歩いていました。小学生の頃はアニメ全盛で夕方に『機動戦士ガンダム』が放送されていて、当時はビデオがなかったのでガンダムを見るために放送日は走って帰っていました。ランドセルを背負って4㎞走っているので、持久走が速くなりましたね。小学2年生のときには、6年生とほぼ同じくらいの速さで走っていました。

――自然と体力がついて持久走が得意になった。そうした背景があって中学では陸上部に入ったと。

武田:そうです。中学では陸上部で長距離をやっていたんですけど、県大会とかのレベルでは上位には行けませんでした。

――中学の陸上部を経て、高校からボートを始めていますが、なぜボートをやろうと思ったのですか?

武田:山の人間は海への憧れがあるんです(笑)。

――それが理由ですか!?

武田:ポイントの一つではありました。山育ちなので、海に行けるというのは結構楽しみだったんです。実家は本当にすごい山の中なんです。道からあまり家が見えなくて、結婚して妻を実家に連れて行ったときは、「本当に家があるの?」と言われたぐらいですから(笑)。家の周り全部が山なので、ボート部なら海に行けるなという思いはありました。進学した高校に陸上部がなかったということもあって、ボート部を選びました。山には山の良さがあるけど、海には海の良さがあって、ボート部に入って海に行ったときは嬉しかったですね。とにかく楽しいなと思いました。

――楽しかったとはいえ、陸上とは求められる筋力が違うため、フィジカル的には大変な部分もあったのではないですか。練習は何が一番きつかったですか?

武田:全身きついんですけど、ボートって有酸素と無酸素、両方ができないといけない運動なんです。最初しんどかったのは、背中も痛い、腰も痛い、お尻も痛い。なおかつ漕ぐので心肺機能もきつい。だから最初にやったときに全部が足りないと思いました。

――全部が足りないところからどのように鍛えていったのですか?

武田:漕ぐのに必要な背中も鍛えなければいけないし、ハムストリングスも相当鍛えなければいけない。あとは何より腹筋ですね。後々わかるんですけど、不安定なところで漕ぐので体幹部がブレると力が伝わらないんです。体幹部をしっかり鍛えないと体が壊れるし、もたないし、きついしという三重苦です。だから今も続けていますけど、コアトレーニングは重点的にやらざるを得なかったですね。

――ボートを漕いでいるだけでも相当な筋トレになりますよね。

武田:はい。漕ぐだけでもそれなりに筋力トレーニングになるんですが、それにプラスアルファとして、ブレーキをかけないとか、水に抵抗をつけたりとか、そういう練習も取り入れています。陸上トレーニングではエルゴメーターを使って重たいものを漕いだりとか、筋肉をつける、プラス、筋肉の持久性もつけていく。あとは心肺機能の高めていくという、その二つですね。

――相当過酷なトレーニングですね。

武田:相当きついと思います。ボートはフィジカルがかなり重要な競技ですね。高校に入学したときは身長164㎝で体重は42㎏しかなかったんです。それが卒業するときには174㎝で63㎏。身長が10㎝伸びて体重は約20㎏増えました。トレーニングによって、それだけ大きくなりました。

――これだけ体を変えるために、練習ではどんなことを意識してやっていたのですか?

武田:入部した頃は体も小さくて筋力もなかったので、筋肉をつけることを考えていました。ウエイトトレーニングをやっていて、トライした重量が上がるようになったら、すぐにもっと負荷をかけて重量を上げるようにしていました。だから1週間ずっと同じ負荷にはならなかったですね。高校生当時は科学的でもないので、バーベルが上がるようになったら、もう次の負荷、次の負荷という感じでバンバン上げていました。

――フィジカルをいじめ抜いたのですね。

武田:練習場が海なので砂浜ダッシュもバンバンやっていました。陸上トレーニングをやった後にボートに乗る。あるいはその逆でボートに乗った後に陸上トレーニングをするとか、体をいじめ抜いた結果、筋肉がついてきて、そうするとできなかったことができるようになるという実感があったんです。

――成果を実感できると、やっていることは間違っていないと自信が持てますね。

武田:僕は筋力とか体重とかを常に測定しているんです。これはずっと続けています。

――具体的にはどういった測定を?

武田:体重、体脂肪率、筋量、VO2MAX(最大酸素摂取量)は必ず入れるようにしています。自分で測定することで自分を理解することができるし、納得できてやる気にもなります。たとえば筋量が何百グラムでも増えたというのが、わかればやる気も出ますから。一番簡単なのはみんなの見る目が変わってくることですよね。元々は細かったので、Tシャツがピチピチで着られなくなって、「オマエ、筋肉ついたな」と言われると嬉しいんです。

★次回はボートに必要な筋力やトレーニングについてのお話をお届け!

取材/佐久間一彦 撮影/須﨑竜太

武田大作(たけだ・だいさく)
1973年12月5日、愛媛県出身。DCMダイキ所属。1997年全日本選手権での男子シングルスカル優勝以後、同種目では2009年まで7年連続優勝を含む14回優勝の史上最多優勝記録を持つ(2004年及び2005年は海外遠征のため欠場)。96年アトランタ、00年シドニー、04年アテネ、08年北京、12年ロンドンと5大会連続で五輪出場。2020年東京大会で6度目の五輪出場を目指す。