筋肉への憧れは『筋肉番付』がきっかけ
プロレス入門後、プロテイン+炭水化物で増量
今回からVITUP!で連載コーナーを担当することになったプロレスラーの石森太二です。このコーナーの中で、自分がやっているトレーニングなども随時紹介していきたいと思っていますが、まずは自分がトレーニングを始めた頃の話をからしていきましょう。
多くの人と同じように最初の筋トレは自重トレーニングでした。腕立て伏せや腹筋、背筋といったベーシックなものを、部活の補強レベルでやったことが始まりです。少年野球の頃から、こうした基礎体力トレーニングはやっていて、同級生の中でも腕立て伏せや腹筋はできるほうだったので、自信もありました。こういう補強トレーニングは嫌いな人も多いかもしれませんが、自分は得意だったこともあって、嫌いではありませんでした。
筋肉への憧れを持つ一つのきっかけとなったのは、あるテレビ番組です。90年代半ばから2000代初期に放送されていた『筋肉番付』という番組を覚えているでしょうか? 自分が小学生から中学生の頃に放送されていて、このなかに3分間で腕立て伏せを何回できるかを競う種目がありました。それを見ていてマネしてやってみたら、中学生でありながら100回ぐらいはできた記憶があります。腕立て伏せが何回もできたり、筋肉がついている人はいいなと思って見ていたことが、筋トレへの意欲につながっています。
バーベルやダンベルを使った筋トレを始めたのは、高校でレスリング部に入ってからです。ただ、軽量級の選手はそこまで高重量を追い求めることはなく、ここでも腕立て伏せや腹筋、懸垂やロープ登りなどの自重トレーニングがメインでした。ウエイトトレーニングを見てくれるコーチもいたのですが、正確なフォームやセットの組み方などを覚えたのはプロレス界に入ってからです。高校生まではほとんど自重トレーニングしかやっていませんでした。とはいえ、この頃から腹筋は割れていました。
自分が入門したのは闘龍門(とうりゅうもん)というプロレス学校でした。プロレス団体ではなく、プロレス学校だったため、年齢や体格は関係なく、入学金を払えば誰でも入門できるというのが当時は画期的でした。入門時60㎏ちょっとしか体重がなかった自分は、普通のプロレス団体だったら入門を許可されていなかったはずです。闘龍門に入ると、日本で基礎的なトレーニングを積んだのち、メキシコに渡ってデビューするというのが当時のシステムでした。実際、自分もメキシコのリングでデビューしています。
高校生の頃はガリガリだったため、プロレスラーになると決めてからは体重を増やすことが大きな課題でした。体重を増やすためにはとにかく食べること。朝昼晩の3食の食事とは別に、間食として2時間置きにおにぎりを食べていました。練習生の時代もプロテイン+炭水化物というような摂取の仕方をしていて、エネルギーが切れた状態を絶対につくらないようしていたのです。自分は比較的、筋肉がつきやすいタイプだったこともあって、増量の効果はすぐに表れました。65㎏くらいで入門して、プロレスラーとしてデビューする頃には70㎏まで体重を増やすことができました。
筋トレに関してはプロレス界に入ったからといって、大きな変化はありません。闘龍門はプロレス学校なので、プロレスの練習は教えてくれます。しかし、筋トレを教えてくれる人がいるわけではなく、道場にあるウエイト器具を使って、それぞれが自主的にやる感じでした。ウエイトトレーニングは好きだったので、道場だけでなく、時間があればジムにも行くようにしていましたが、完全に独学なので体をつくっていくのにも当然限界がありました。
そんな状況から飛躍的に肉体が変わるきっかけとなったのは、ボディビルダーの山本義徳さんとの出会いです。この山本さんとのトレーニングの話は次回の連載で紹介しましょう。
撮影/神田勲
1983年2月10日、宮城県出身。闘龍門に入門し、2002年5月11日、メキシコ・アレナ・コリセオでの橋本史之戦でデビュー。2006年からNOAHに参戦し、GHCジュニアヘビー級王座最多防衛記録となる10度の防衛を記録。2018年にNOAHを退団し、現在は新日本プロレスを主戦場として、ジュニアヘビー級戦線で活躍している。プロレス界でも屈指の筋肉美の持ち主。