鍛え抜かれた身体と、不屈の精神で頂点を目指すパラアスリートを紹介するこのシリーズ。今回は、ウィルチェアーラグビーの島川慎一が登場。マーダーボール(殺人球技)と呼ばれるほど激しい車いす競技を20年近く続ける島川の身体はいかにしてつくられるのか? そのプレー人生とともに探っていく。
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「もうちょっと続けよう」が続いて今がある
東京パラリンピックで目指すは金のみ
――島川選手は現在43歳、アスリートとしてはベテランと呼ばれる域だと思いますが、年齢とともに体の変化を感じていますか?
島川:うーん、どうだろう。自分ではそんなに感じていないし、周りに聞くと、昔より動けているってよく言われます(笑)。体力が落ちるのが怖くて、結果的に練習量が増えているんですよ。それがプラスになっているのかな。10年前はこんなにトレーニングをしていなかったですから。
――衰え知らずという感じですね。
島川:でもやっぱりこの年ですから、気を抜くとストンと落ちると思います。だから食事のタイミングだったり、トレーニングの間隔だったりは昔に比べてかなり考えるようになりました。日本代表チームのケビン・オアー監督は、世界選手権が終わったら1ヶ月くらい休めと言っていましたが、長く休むと元通りに動けるようになるまでに多少の時間がかかるので。
――ケガも少ないですよね。
島川:激しいぶつかり合いとはいえ、結局は車いす同士がぶつかっていて、体が接触するわけではないので年齢関係なく他の競技と変わらないと思います。まぁ転んで床にぶつかったときにそれなりにケガをしたことはありますけど、基本的にはベルトで固定しているのでルールを守っていればそこまで危険というものではありません。
――食事はどういうところに気を付けていますか?
島川:空腹になる時間を作らないようにはしていますね。栄養士に相談しながら調整はしていますけど、食事にあんまりストレスはかけたくないので。やっぱり好きなもの食べたいですからね。野菜やフルーツもしっかり食べるように気を付けています。これは食べちゃいけない、と決めているものもありません。
――今まで、引退を考えたことはありますか?
島川:いっぱいありましたし、毎年考えているくらいでした(笑)。でも、「ここでいいかな、ここでいいかな」っていうのをよく考えてはいたんですけど、なんか、「もうちょっと先を見てみたいな」というのが続いていき、今に至っています。今はもう、いっさい引退は考えてないですね。なんなら、2028ロサンゼルス大会までいってやろうかっていう気持ちです。自分のできるところまで。もちろんいつ落選するかはわからないですけど、自分の限界までいってみようと思います。
――長く競技を続けることで、見ている人に何か伝わるものがあると思います。そのあたりは、どのように考えていますか?
島川:まぁ僕自身がやりたくてやっているので、あまりそういうのは考えたことはないですけど(笑)。ただやっぱり、交通事故に遭った人とかは、まず「これからどうしよう」となると思うんですよね。そのなかで、こういう選択肢もあるんだよ、というのが伝わるといいなと思いますよね。意外に、ヒトって限界がないんだなっていうのが自分もわかりましたし、そういう人の助けにちょっとでもなればいいと思います。
――事故に遭ったこともそうですが、これまで困難にあったポイントで、島川選手がそれを乗り越えてプレーを続けてこられた原動力は何なんでしょう?
島川:自分でもどうしてなのかはわからないですが、「もうちょっと続けよう」でここまで来た感じかな。諦めるのっていつでもできるわけですから。諦めずに続けた結果、ケガや故障をしたときはしょうがないかなって受け止められます。でも、命まで取られるわけではないので。本当に、「もうちょっとやろう」がずっと続いてきた感じで。基本的に諦めたくないし負けたくないんですよ。けっこう山あり谷ありの人生ですけど、諦めなかったから今の環境があるだろうし。途中で終わってたら、ただの出費で終わっていたと思います。
――日本代表は今回の世界選手権で優勝し、初めて追われる立場になります。何か気持ちの変化みたいなのは?
島川:世界選手権が終わって日本に帰ってきて、いつも通りなんですよね。シドニーに何か置いてきちゃったのかな?っていうくらい(笑)。ただ、2年後の東京パラリンピックで金メダルを獲るっていう目標があるなかで、このタイミングでの優勝というのは、やるべきことではありました。ただ、その場はすごく嬉しかったですけど、帰ってきてまた次に向けて走り出している状況なので。優勝はしたけど、決勝はなんとかギリギリ勝てた状態で、まだ課題は多いわけで。2年後はもっと安心して優勝できるくらいのチームになりたいですし。
――東京大会では日本代表はもっとも良い状態で臨めますね。
島川:優勝しなければいけないもの、だと思っています。優勝しなきゃ意味がないとは言いませんけど。日本代表が初出場してから5回目というところで、自分も東京で競技歴21年になるんです。それだけ続けてきたら、ここで獲らなきゃいつ獲ると。地元開催ということでいろいろな人に見に来てもらえると思いますし、必ず優勝したいと思います。
取材・文/木村雄大 撮影/安多香子
島川慎一(しまかわ・しんいち)
1975年1月29日、熊本県出身。バークレイズ証券株式会社/BLITZ所属。21歳の時に交通事故により頚髄を損傷し車いすの生活となる。1999年よりウィルチェアーラグビーをはじめ、2001年に日本代表に選出されて以降、アテネ大会から4大会連続でパラリンピック出場。リオ大会では初のメダルとなる3位に輝く。また、埼玉県所沢市を拠点とするチーム・BLITZを2005年に創設(現在の本拠地は東京)。過去、日本選手権大会で8度の優勝を誇る。