元プロ野球選手が開く野球塾、その名も「野球心」 第3回「野球心」に込められた思い




大阪近鉄バファローズやオリックス・バファローズで長きにわたって活躍した水口栄二さんが野球塾を開き、子供たちに指導をしている。インタビュー最終回となる今回は「野球心」の名前の由来、そして、これからのことを聞いた。

元近鉄戦士の水口栄二さんが立ち上げた野球塾、「野球心」。このネーミングの由来はなんなのだろう。最後に聞いてみた。

「立ち上げの時に『野球』という言葉の後に何か一字をつけようといろいろ書いてたんですよ。それで『心』という字を思いついたんです。横文字も頭に浮かんだんですけれども相手が子供だし、『心』みたいなのがいいかなと。自分が野球をやっていてメンタル面が一番鍛えられたと思いましたから」

「野球心」という言葉には、そんな水口さんの思いが込められている。

 

「野球心」とは文武両道の精神

 

水口さんの言う「心」には、文武両道の精神が貫かれている。「野球心」には練習場と事務所に隣接してもうひとつ、プレハブ小屋がある。ここは「勉強部屋」に使っているという。「野球心」に通うのは主に中学生。場所柄、彼らは保護者の車で送り迎えしてもらうのだが、水口さんに野球の手ほどきを受ける一方で、待ち時間などはここで宿題などをして過ごす。

「野球心」の勉強部屋の張り紙

「やっぱり勉強はしないとだめでしょう」。こともなげに水口さんは言う。

自らを「普通の学生だった」という水口さん。長じてプロ野球選手になったのだから、子供の頃から運動神経も周囲からずば抜けていたはずだ。しかし、水口さんはとくにそれを意識することもなく、それゆえ、周囲の大人の言いつけを守って勉学にも励んでいたという。

「勉強はよくしましたよ。まあ、やっていたから中学の頃は、成績も上位でした。ホント、フツーの生徒で、プロ野球選手になるなんて思ってもみませんでした。甲子園も意識したことなかったですね。だから野球だけやればいいなんてこともなかったですね」

中学3年の時、地元進学校へ進む選択肢もあったが、誘いのあった野球の名門・松山商業を進学先に選んだ。名門とあって、高校時代の3年間はまさに野球漬けと言ったものだったが、そこは公立校。学業に関して学校は特段野球部員に手心を加えることもなかった。

「授業も一応ちゃんと受けていました」という水口さんの姿勢は早稲田大学進学後も変わらず、授業にはきちんと出席し、野球の日米比較について卒業論文にまとめ、学士号を取った。大学の方も、野球部員に「特権」を与えることなく、授業への出席は義務付けていたという。

「選手としてずっとできるわけではないですからね。実際、高校時代にも野球でダメだったチームメイトが、部活を辞めて悪い道へ進んでしまったのも見ていますし。やっぱり勉強はしておかないと。例えば、ケガで選手としてはもうダメになっても、勉強さえしておけば、トレーナーや理学療法士になって選手をサポートする側に回ってスポーツに携わることができるでしょう」

その昔は、社会全体としても、一芸に秀でた者に対する寛容度は高かった。しかし現在では、いかに優れたアスリートであったとしてもまずは一社会人、という考え方が常識になっている。プロアスリートの間でもセカンドキャリアに対する意識が高まってきている。そういう変化を踏まえた上でも、水口さんは、「学生はまず勉強」という教育者的視点から、「野球心」を運営している。

最後に、水口さんに将来の夢を聞いた。

「そうですね。今教えている子供の中からプロ野球選手が出て、ここを訪ねてくれることですかね」

そういう水口さんの視線の先には、遠く彼が現役時代を過ごした大阪の町の摩天楼があった。

 

取材&文&撮影/阿佐智

 

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