1990年以前、筋トレはバカにされる風潮があった。☆石井直方×中野ジェームズ修一☆SPECIAL TALK #1




VITUP! 春のスペシャル企画。元ボディビル日本一にして筋肉研究の分野でもトップランナーであり続ける石井直方教授と、フィジカルトレーナーとしてスポーツ界やトレーニング界でカリスマ的な存在感を発揮する中野ジェームズ修一氏の初対面が実現。最先端のカラダ情報と現場事情を知るVIP 2人が、「フィットネス」をテーマにとことん語り合います。

パーソナルトレーナーという専門職があることに驚きました

――お二方は意外にも初対面なんですね。

中野:共著はあるんですけどね(笑)。今日はお会いできてうれしいです。私は1990年代の後半にアメリカでトレーニングの勉強をしていて、その頃の世界のフィットネス事情はよくわかっているんですけど、その前はよく知らないので、そのあたりのお話を伺ってみたいと思っていたんです。80年代はエアロビクスが流行する前でしょうか。

石井:80年代にはすでにブームだったと思いますね。ただ、筋トレのほうは少しバカにされるような風潮があったと思います。少なくとも「筋トレで健康になる」といった考えは一般にはまったくありませんでした。

中野:私はもともと水泳の選手で、そこからトレーニングに興味を持ちはじめて指導者になったんですけど、90年代の日本にはまだパーソナルトレーナーという職業はありませんでした。でもロサンゼルスのベニスビーチあたりにはパーソナルトレーナーがたくさんいて、試しに自分でもトレーナーをつけてみたら衝撃を受けたんです。「たった3ヵ月でこれだけ体を変えてくれるんだ」と。彼らは運動を指導するだけでなく、サプリメントや生活習慣のアドバイスなども全部やっていました。そういう専門職があるんだと驚きましたね。

石井:私がロサンゼルスでゴールドジムなどを見て回ったのは1981年でした。その時に案内してくれたのがパーソナルトレーナーの走りのような日本人で、基本的にはセレブにトレーニングを指導しているんですが、それ以外にも犬の散歩をしたり身の回りの世話をしたりと、いろいろなことをやっているようでした。フィットネスを教える専門職という方向に流れていったのは、それからだいぶ後のことだったと思います。90年代の後半には、そういうトレーナーがかなり増えていたかもしれませんね。

80~90年代、アメリカのフィットネスの中心はエアロビだった。ⓒf11photo‐stock.adobe.com

――アメリカでは一般の人が筋肉を鍛える習慣が古くからあったのでしょうか。

石井:トレーニングに関しては歴史が古い国なので、あったと思います。その年、私はボストンで学会に参加した直後にロンドンでミスター・ユニーバースに出場することが決まっていたので、どうしてもアメリカにいる間にトレーニングをする必要がありました。知らない土地をいろいろと歩き回って、やっと見つけたのが高い年会費を払ってお金持ちの人たちが通う高級フィットネスクラブのようなところでした。なので、少なくとも地位やお金のある人たちは、その時期には日常的に筋トレをする習慣があったんだと思います。ただ、一般の人が通うような総合フィットネスクラブはなかったですね。

中野:私が行った頃はエアロビクスの全盛期で、レオタードを着て街を歩く人がたくさんいるという時代でしたね。ただ、ハイインパクトのエクササイズは危険と言われはじめていて、クラスの内容はステップエクササイズとかヒップホップのダンス系のものが主流になってきていました。

マシンの登場でジム経営はラクになった

石井:日本でもエアロビクスはかなり流行りましたよね。『フラッシュダンス』のような映画もありましたし、やはりダンス系のエアロビックエクササイズが主流だったと思います。その背景には総合的なジムが増えてきたことがあったわけですが、ジムが増えた要因としては80年代後半頃から増えてきたマシンの存在がありました。バーベルなどのフリーウエイトは扱うのが難しいので、安全に教えられる指導者がいることが前提でしたが、マシンは素人でもケガなく扱いやすいので、ジム経営もラクになったんですよね。

中野:ジム事業は拡大していったと思うんですけど、私と同じようにトレーナーという方向性で勉強していた人は、日本にはほとんどいませんでしたね。かつての私と同じように、フィットネス指導者という職業があることを誰も知らなかったんだと思います。私も帰国してからジムで「パーソナルトレーナーをやらせてほしい」と頼んだら、「お金は取らないよね?」とか「タダでやってくれるなら、いくらでもどうぞ」と言われましたから(笑)。当時は一律の会費の中ですべてをやるのが当たり前で、別料金で何かをするという考えはなかったんですよね。

石井:ボディビルの世界にも「トレーニングを指導する」という概念はまだなかったですよ。トップレベルの選手になろうと思ったら、まずトップレベルの選手がいるジムに入らなきゃいけない。そこで一緒にトレーニングをしながら、先輩からトレーニングを盗むというか学んでいくというのが定番でした。ですから強い選手は自然と特定のジムに集まっていましたね。アメリカにもそういう面はありましたが、少なくとも「指導者」という存在はあったと思います。

中野:日本では働く場所がなくて、最初は本当に苦労しました。いろいろとお願いして、やっと1人500円くらいのグループレッスンが許されるくらいで。それでも人は集まらない。会員の方にしたら「月会費を払っているのに、なんで別にお金を払わなきゃいけないの?」という感覚ですよね。ジムがそんな感じだったので、結局は自分でクライアントを探すしかない。そういう指導も日本には浸透していなかったので、高級住宅街などを回って出張指導を続けていました。それが少しずつ口コミで広がっていくという感じでしたね。もちろんトレーナーだけでは食べていけないので、ジムでエアロビクスやステップエクササイズを教えたりもしていました。

――スポーツ界にも専属のトレーナーはいませんでしたか?

中野:マッサージをする方は一部のチームにいましたが、「フィジカルトレーナー」という概念はなかったですね。ここ5~6年くらいじゃないですか、マッサージのようにケアをする人と、フィジカルを強化するトレーナーが違う職種だと認識してもらえるようになってきたのは。

石井:そうでしょうね。

中野:私も選手を指導する機会が増えてきたのは最近ですよ。でも結局のところ、アスリートも一般の方も同じ人間だなと感じています。アスリートだから特別なことができることもありますが、できないこともたくさんあります。なので、トレーニングの基本的な構成方法はあまり変わりません。アスリートの時は競技特性を考える必要があるのと、4年とか8年といった期限が決められているという違いがあるくらいですね。

筋トレで健康になるか?という問いに対し、80年代までの答えは「NO」だった

――研究の分野では、ここ20~30年で大きな変化はありましたか。

石井:90年くらいを境に、非常に急激な変化がありましたね。「筋肉を鍛えて健康になれるか?」という問いに対して、80年代までの答えは基本的に「NO」だったんですよ。ところが、90年代以降は「YES」になった。70~80年代は、健康のためにはとにかく脂肪を落として肥満を予防し、動脈硬化を防ぐことが最も大切という考えが根底にあって、それはアメリカという肥満王国から発信されたものでした。アメリカやヨーロッパで筋トレをしている人の血液を調べたデータもたくさんあったんですけど、だいたい悪い結果が出ていたんですよ。

中野:えっ、そうなんですか?