50年前のプロテインってどんなもの?【桑原弘樹のサプリ道】




サプリメント実践的活用のスペシャリストである桑原弘樹さんが、サプリや栄養に関する疑問を解決する新連載。第2回は、意外と知らないサプリメントの歴史について。

■サプリの王様は、やはりプロテイン!?

世界でのサプリメントの元祖となると私も分かりませんが、日本では20世紀はビタミンの時代、21世紀はアミノ酸の時代などと言われたりもしますから、ビタミン剤あたりが一般的なサプリメントとして市民権を得た元祖なのかもしれません。

アメリカで広く普及したのは1994年に栄養補助食品健康教育法(DSHEA)という法律が成立して、その中でサプリメント(栄養補助食品)が規定されたことによる影響が大きいと思います。これをきっかけにビタミンを中心としたサプリメントが急速に広がっていきました。日本でも2015年に施行された機能性表示制度は、このDSHEAを参考にしています。

もしトレーニングをすることを前提とした場合には、個人的にはやはりプロテインがサプリメントの王様であるように思います。

では、プロテインはいつ誕生したのかですが、これも正確には分かりません。ただ、50年以上も前にすでに日本のクラークハッチフィットネスセンターでは「リアルプロ」と呼ばれる錠剤タイプのプロテインが売られていたそうですし、1955年の雑誌広告には輸入もののプロテインが紹介されています。

1957年発行の日本のボディビル雑誌に掲載されているサプリメントは海外物のビタミン剤やプロテインなどですが、「逞しき筋肉をつくる太る薬」といったコピーがあり、和訳に問題があったとはいえ、薬事法以前の問題として薬と言い切ってしまっている点が古き良き時代を感じさせてくれます。

今ではホエイ(乳清)がトレーニーたちのプロテインとしては定番に近いですが、私がサプリメントの事業を立ち上げた20年ほど前は、まだソイ(大豆)プロテインが主流だったと記憶しています。エルゴジェニックエイド的なサプリメントはつい最近の流れであって、もともとは単独もしくは複数の栄養素だけを的確に摂取するという、まさに栄養補助のための商品がサプリメントだったのは間違いでしょう。

余談ですが、1976年にミスターユニバースのオーバオール優勝という快挙を成し遂げた杉田茂会長の有名なエピーソードがありまして、日本にいる時には今のようなプロテインや間食代わりのサプリメントもなかったことから、金魚の餌をポケットにいれて空腹時に食べていたそうです。なんでも会長曰く、金魚の餌は高タンパクだそうで、味のほうもまずまずだったとか(^-^;


桑原弘樹(くわばら・ひろき)
1961年4月6日生まれ。1984年立教大学を卒業後、江崎グリコ株式会社に入社。開発、経営企画などを経て、サプリメント事業を立ち上げ、16年以上にわたってスポーツサプリメントの企画・開発に携わる。現在は桑原塾を主宰。NESTA JAPAN(全米エクササイズ&スポーツトレーナー協会 日本支部)のPDA(プログラム開発担当)。また、国内外で活躍する数多くのトップアスリートに対して、サプリメント活用を取り入れた独自のコンディショニング指導を行ない、Tarzan(マガジンハウス)など各種スポーツ誌の企画監修や執筆、幅広いテーマでの講演会など多方面で活躍中。著書に「サプリメントまるわかり大事典」(ベースボールマガジン社)、「私は15キロ痩せるのも太るのも簡単だ!クワバラ式体重管理メソッド」(講談社)、「サプリメント健康バイブル」(学研)などがある。プロフィール写真のタンクトップにある300/365の文字は、年間365日あるうち300回のワークアウトを推奨した活動の総称となっている。300日ではなく300回であることがポイントで、1日2回のワークアウトでも可。決して低くはないハードルだが、あえて高めの目標設定をすることで肉体の進化が約束されると桑原塾は考え、実践している。