【Ken Yamamotoの腰痛ゼロ革命】第4回=「デッドオアアライブ」のパレスチナで 「30年間坐骨神経痛のお婆さん」を治療する




 

”世界を股にかける治療家”Ken Yamamoto(ケン・ヤマモト)の連載『腰痛ゼロ革命』の第4回は、「世界中から腰痛を無くす」という夢に向かって、世界各国で腰痛の治療を続けてきたKen先生の「究極の体験」。普通の治療家はまず経験しない「世界のKen Yamamoto」ならではの「デッドオアアライブ」体験談である。

 

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世界中で治療家向けに「KenYamamotoテクニック(KYT)」を教えるセミナー「KYTセミナー」を開催しているKen先生。

2017年、初めてイスラエルで開催したKYTセミナーは同国で大きな反響を呼んだ。参加者の中にはパレスチナ人医師がいて「次はぜひパレスチナでセミナーを開催してください」との熱烈なオファーが届いた。

Ken先生は「行こう」と決めた。

「周囲は『危険な地域なのに大丈夫?』と心配していましたけど、僕は危険な場所だからこそ、長年痛みに苦しんでいる患者さんがいるんじゃないかと思ったんですよ。『世界中から腰痛を無くす』という夢に向かって走ってきて『ぜひ来てほしい』と言われたのに『危ない地域だから行きません』はないですよね。死んだら死んだ。ですよ」

イスラエルでのセミナーの3ヵ月後。Ken先生はパレスチナ入りした。

2日間のセミナーを終えると、セミナーを受講したパレスチナ人ドクターは大勢の腰痛患者を集めていて、Ken先生はまったく言葉の通じないアラビア語の腰痛患者と対峙し、KYTで治療をしていった。

その中に一組の親子がいた。「ウチの祖母を診てほしい」と言う。Ken先生は車で一家の住む家に向かった。

 

「娘さんが可愛い子だったんですよ(笑)。でもイスラム教は男女間で会話するのも厳しくて、車で移動する時に僕は助手席に乗せられて、娘さんは後部座席でした。『おばあさんを治したらハグしてくれますか』と冗談で聞いてみたら『ダメです』と真顔で返されました(苦笑)。ふと『もし、おばあさんを治せなかったら、生きて帰れないかもしれないな』なんて思っていました」

 

Ken先生を待っていたのは、相当に厄介な症状を抱えたおばあさんだった。

 

「30年間、坐骨神経痛に苦しんでいて、寝ていても起きていても痛い、しびれもある、というんです。杖をついて、かろうじて歩けるくらいでした」

 

肥満体型で、体は左側に傾いていた。

 

※イメージ写真(モデルも別人です)

「普段はずっと座りっぱなしで、まったく歩いていないんです。孫が十何人もいて『家族が何でもやってくれるから』と(苦笑)」

Ken先生がおばあさんの体を調べてみると、長年の座りっぱなしの生活で体はゆがみ、股関節はもろくなっていた。

「股関節が内旋、内側に入ってしまっていたんです。股関節が内旋していると、固まろうとするんですよ。本来、股関節の周囲にはスペースがあって、フレキシブルに動くんですが、股関節が内側に入ると、関節の屋根が大腿骨骨頭(大腿骨=太ももの骨の上端)をがっちりと抑え込んじゃって動きが悪くなる。ここの部分も縮こまってしまっていました(写真参照)」

長年の「歩かない生活」によって、お婆さんの下半身は「歩く機能」を失っていた。

「ヒザは伸びなくなっていて、筋力もない。股関節が内側に入っていて、可動域は極端に狭くなっていた。だから、足を上げにくくなっていた」

問題点はすぐにわかったが「ではこのモロくなった身体をどう痛みを取って、歩けるようにするか」が難題だった。

「股関節はモロくなっているはずで、外から力を加えたらボキっと股関節が折れてしまうかもしれない。とても危ない状態なんです。施術している部屋には20人くらいの家族が見守っていてお婆さんの症状に『勝てば官軍、負ければ生きて帰れません』そんな空気でしたよ。

だけど、ある程度のリスクは取らないと成果は出せません。アメリカのカイロプラクティックドクターが『触ること自体がリスクなんだ。だからいつも緊張感を持って治療している』と言っていましたが、その通りなんです。僕も、解剖学を勉強してきて、体の構造は理解しているつもりですけど『骨折』という結果を出したら終わりですから」

アラビア語圏で英語も通じないパレスチナで、Ken先生は慎重に、おばあさんの治療に取り掛かった。

「もうね緊張で汗びっしょり(苦笑)。骨盤がおじぎしてるから、股関節が内旋してしまう。だから、仰向けに寝てもらい、両ヒザを曲げてもらい、僕は腰部を抑える」

 

「そうすると骨盤が後傾します。そのまま、足を降ろしていく。その繰り返しです」

 

「最初は、足の付け根、股関節の周囲が縮こまっていたのが、足を降ろしても広がっている状態を作る。これは慎重に、20分くらい掛けて広げましたね」

股関節の可動域が少し広がると、今度は次の段階に。

「次は、横向きになって、僕が足を抑えて『上を向いてごらん』と。そうすると、股関節の可動域が広がっていて上を向けるようになっているんです」

 

「一度立たせて『歩いてごらん』とおばあさんを歩かせて、動きを見て『ここが、まだだ』とか調整を繰り返して。おばあさんは股関節の内旋を外旋にしてあげたら、足のしびれが無くなって、ゆっくりですけど歩けるようになったんです。人の体は『正しい位置』、解剖学の教科書の1ページ目に載っているアナトミカルポジション(解剖学的肢位)に戻すと、だいたいの痛みは取れます」

治療前は、杖をついてかろうじて歩いていたおばあさんが、1時間の治療を終えると杖なしで、スタスタと歩けるようになっていた。

おばあさんは「痛みがない!」と笑顔で歩き回り、心配して見守っていた20人の家族もその様子を見て全員が笑顔に。

Ken先生の治療は、これで終わりではない。おばあさんに「元の状態に戻らないように」と予防する方法を教えた。

「股関節が内旋しないように、うつ伏せになって、タオルを丸めて、腰骨の辺りにかませるんです。そうすると、骨盤が後傾するので『この体勢で昼寝してね』と伝えました。今もやっていてくれたいいな、と思いますけど、どの国の患者さんも『喉元過ぎれば熱さを忘れる』ですから(苦笑)。緊張から解放されてぶっ倒れそうになりましたよ」

 

 

Ken先生にとって、嬉しい「ご褒美」があった。

 

「おばあさんが歩き始めたのを見て、可愛い娘さんが奥の部屋でハグをしてくれたんですよ。僕、イスラムでは『アボ・ケンジ(ケンジの息子)』と呼ばれるんですけど『ママがアボ・ケンジとハグしていいと言ったから』って、ハニカミ頬を赤らめてハグしてくれたんです。

お母さんが言うにはアボ・ケンジに娘は初恋をしたと言っていました。きっと歩き始めたお婆ちゃん見てカッコイイと勘違いしちゃったんでしょうね」

そう言って、Ken先生(独身)は照れていた。

 

(次回に続く)

取材・撮影:茂田浩司

 

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Ken Yamamoto
東京都出身。東海大学体育学部卒業。中学・高等学校保健体育科教員1級免許取得。23歳で治療院開業。27歳で柔道整復師国家資格取得し、整骨院を開業。30歳で目黒区医師会立看護学校卒業し、免許取得。仙骨専門治療院、整形外科、総合病院整形外科、整骨院、介護センターを経て、整骨院開業。現在は、年間300日以上、海外を中心に解剖学を基に作られたKenYamamotoテクニック(KYT)のセミナー講義並びに大学の授業などを行ない後進の育成にも余念がない。腰痛患者さんの施術を招かれる各国で行なっている。KYTは現在40カ国で使われているテクニックとなっている。