ワクワクとコンフォートゾーン【佐久間編集長コラム「週刊VITUP!」第181回】




VITUP!読者の皆様、こんにちは。日曜日のひととき、いかがお過ごしでしょうか?

 

さて、連載178回のコラムで書いたように、新型コロナウイルスのワクチン接種後に1週間ほど、トレーニングから離れていました。体調にはまったく問題がなく、現在は普通に週3トレーニングに戻っているものの、中途半端な休み期間を入れてしまった影響から、なかなかモチベーションが上がらない日々が続いていました。

 

一方で週末には福岡出張があり、快適なエニタイムフィットネス福岡空港を利用できると思うと、ワクワクしてトレーニングへのモチベーションが高まります。こうしたモチベーションの変化は何を意味しているのか? 今回は「ワクワク」を心理学的な視点から考えてみたいと思います。

 

漫画「ドラゴンボール」の主人公・孫悟空は強大な敵を前にすると、「ワクワクしてきたぞ」と言って喜びを露にします。実はこの「ワクワク」は、人が力を発揮するため、成長していくためには不可欠な要素なのです。自分が子どもだったときのことを思い出してみてください。誰もがワクワクを経験しながら、成長してきていることがわかります。

 

赤ちゃんは立ち上がって歩けるようになると、何度転んでもニコニコしながら立ち上がって、1歩でも2歩でも歩こうとします。字を覚えたばかりの幼児は、お店の看板や駅名を見ると必死に声に出してそれを読もうとします。初めて自転車に乗れた子どもは、もっとうまくなりたくて時間を忘れてペダルを漕ぎ続けます。このように人はワクワクしながら挑戦することで、成長していくのです。

 

ところが大人になるにしたがって、ワクワクよりも不安や恐怖が大きくなり、挑戦することができなくなってしまいます。子どもと比べて大人の成長スピードが遅くなるのは、挑戦する機会が減り、ワクワクしなくなるからです。不安や恐怖を招く要因の一つは「コンフォートゾーン」と呼ばれるものです。これは日本語にすると「快適領域」あるいは「安全領域」といった意味。つまり、ストレスや不安を感じることなく過ごせる空間を指します。

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ストレスのない生活をする上で、コンフォートゾーンは悪いものではありません。ただ、ストレスのないところで人は強くなることができません。進化、成長していくためには適度なストレスを与えることが必要なのです。これも人生を生きていく中で誰もが必ず通っている道です。

 

まず幼稚園(保育園)に入園するとき、子どもは「親と一緒」というコンフォートゾーンから初めて離れることになります。不安や恐怖で泣きながら幼稚園に通い、先生や友達と過ごす新たな日々を通じて、飛躍的に人間形成が進んでいきます。その後の小学校、中学校、高校という進学も一緒です。同じ場所に長くいると、そこはコンフォートゾーンとなり、居心地の良い安全領域になりますが、一方で刺激がなくなり、成長にはつながりにくくなります。子どものうちは進学やクラス替えなど、定期的な環境の変化があるため、必然的にコンフォートゾーンを離れることになり、成長し続けられるというわけです。

 

ところが大人になると定期的な環境の変化が少なくなるため、自分で意識的にコンフォートゾーンを抜け出さない限り、そこに留まり続けることになります。ジム通いを始めたいけど勇気が出ない。新しいことを始めたいけどコミュニティに入っていくのが苦手……といった具合に、変化に不安を感じる人は、コンフォートゾーンに留まりたいという心理が働いているからです。少し話を広げると、恋人から夫婦への変化に踏み出せない。転職したいけどできない……といった心理にも、コンフォートゾーンが影響していることが多くあります。

 

私の場合のジム通いも同様で、いつも同じ時間に同じ店舗に通っていれば、知り合いではなくても周囲は見慣れた人ばかりになり、設備もすべて把握していて、そこはコンフォートゾーンになります。ところが店舗を変えると、周囲の人が変わり、設備も変わるため、緊張感とともに刺激が入るようになります。こんなちょっとした変化だけでも、コンフォートゾーンを抜けることで、良い刺激が入ってポジティブなエネルギーが生まれるのです。

 

そういえば、冒頭に記した悟空もワクワクして闘うたびに強くなっていました。そうです。ワクワクは人を強くするのです。変化は恐怖ではなく、成長に必要なポジティブなもの。おじさんになっても日々の生活にワクワクを求めていきたいと思います。

 

佐久間一彦(さくま・かずひこ)
1975年8月27日、神奈川県出身。学生時代はレスリング選手として活躍し、高校日本代表選出、全日本大学選手権準優勝などの実績を残す。青山学院大学卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。2007年~2010年まで「週刊プロレス」の編集長を務める。2010年にライトハウスに入社。スポーツジャーナリストとして数多くのプロスポーツ選手、オリンピアン、パラリンピアンの取材を手がける。