ミノワマンが語るリアル超人への道Vol.2「喘息持ちで病弱でした」




「見よう見真似でスクワットから始めました」

公園の遊具に座り精神を統一するミノワマン

——体重が50㎏前後だったとのことですが、プロレスラーになるためにまずは何から着手しましたか。

「当時は情報を得る方法が雑誌か、プロレスラーが書いた本しかなかったので、そういうものを片っ端から読みました。そこに『プロレスラーになるために、みんなヒンズースクワットをやっている』と書いてあったので、見よう見真似でスクワットから始めましたね。猪木さん、前田日明さん、船木誠勝さんらが書いた本だけではなく、18歳くらいの時はミスター髙橋さんの『プロレスラーになる方法』とかも読みました」

——ご家族の反応は、どうでしたか。

「もう放っておけという感じでした。どうせ辞めて帰ってくるから、放っておけばいいと。父親はプロレス好きなので、その後もプロレスの話とかテレビは一緒に見ていたんですけど、僕がやるという話になると『なれるわけないじゃん』という感じで。母親も最初は『そんな危ないことやめてよ』と言っていましたし、おばあちゃんに至っては実際にレスラーになってからも『いつ就職するの?』と言っていました(苦笑)」

——身内だと、やはり心配なのでしょうね。

「しかも、おばあちゃんは僕がPRIDEに出ている頃でさえ、同じことを言っていましたからね。『普通の仕事をしてほしい』と。でも、そのわりには一緒に喫茶店に行ったりすると、真っ先に『この子はプロレスラーなんです』って言うんですよ。反対していたのか喜んでいたのか、よくわからないです」

■次回(5月6日アップ)は“美濃輪育久”の高校時代以降を深堀りします。

取材・文・写真/松浦俊秀
写真提供/ミノワマン

ミノワマン(みのわまん)
本名:美濃輪育久。1976年1月12日、岐阜県出身。175㎝。92㎏。フリー。戦績/117戦63勝(43S、11KO)45敗9分。パンクラス 第5回ネオブラッド・トーナメント優勝、初代BSFミドル級王者、DREAMスーパーハルクトーナメント 〜世界超人選手権〜優勝。公式twitter。YouTubeチャンネル「ミノワマン ワールド / Minowaman World