「ピンチはチャンス」。タフに生き抜くために【髙田一也のマッスルラウンジ 第64回】CIMA選手⑤




コロナ禍で休止中だった「髙田一也のマッスルラウンジ」が大復活! 再開一発目は今年、デビュー25周年を迎えたカリスマプロレスラー・CIMA選手が登場! かつて、同じジムでトレーニングをしていた旧知の仲のふたり。コロナ禍など先行き不透明な現代、ふたりは困難とどう向き合ってきたのでしょうか。

「ジムを閉めていた期間に栄養学の勉強をやり直しました」(髙田)

「真っ暗闇の中でもどこかに穴が開いていたり、光がある」(CIMA)

――髙田さんはパーソナルトレーニングジム「TREGIS」の代表を務められ、CIMA選手は若い頃から団体のトップランナーで、現在は「#STRONGHEARTS」というユニットで後輩をけん引する立場です。人の上に立つという点で、意識されていることはありますか。

髙田:CIMAさんはすごいリーダーシップですよね。以前お見かけした時も後輩の方にすごく的確に指示を出されていましたし、慕われているなと感じたんですよね。あれって、にじみ出るものじゃないですか。

CIMA:どうですかね……僕は言ったことをすぐ忘れたりするので(笑)。ただひとつだけ、自分の後輩が何かミスをしてしまったりとか、ちょっとまずいことが起こったりした時に、お尻を拭くのが僕の役目かなと思います。あとはもう自由にやってくれというくらいですね。僕は高校2年生の時に、言葉も時差も何もわからない状態で両親がメキシコに飛ばしてくれたというのが、ずっと感謝しているので。もし僕がメキシコで何か事件に巻き込まれたり、事件を起こしたとか行方不明になったとかって言われたら、両親はそこで尻ぬぐいというか、解決をするわけじゃないですか。後輩に対してもそういうことなのかなって、漠然と僕は思います。可能性を止めないということじゃないですかね。

髙田:僕は立場的に、ただ社長になってしまったというだけなので……。でも僕たちの世代だと、仕事ってガンガンやっていって、ひとりでやるにはいっぱいいっぱいのことが出てきて、それをみんなに振って、結果的に会社をつくるというのが当たり前だと思って生きてきたんですよね。でも今は多様性みたいな感じで、違うやり方もたくさんあるんだと思うんですけど、自分の世代って、団塊の世代と言われる人たちからものを習った世代なんですよね。だからまだ根性論も強くて、それがあったからがんばって生きてこられたところもすごくあるんですけど。僕についてきてくれる人たちには押しつけることができない時代になっているので、今の時代に合わせて接していくことはすごく難しいなと感じています。でも、若者の中でもすごい人はたくさんいると思いますし、そちら寄りに合わせていく部分もなければいけないんですよね。きっと時代って、そうやって繰り返されていくものだと思っているので。

CIMA:芯になる部分と柔軟性の両方を持っていないといけないという。

髙田:そうなんですよね。プロレス界でもジェネレーションギャップを感じる場面はありますか?

CIMA:やっぱりありますね。僕らはよくも悪くも野心しかなかったんです。野心100で生きてきたので、今の若い子たちを見ていると、もしかしたら野心5くらいしかないんじゃないかな?と感じることもあります。

髙田:風潮として、「野心カッコ悪い」みたいな感じになっているじゃないですか。でも、野心がなかったら何をつかめるのかなと思うんですよね。

CIMA:でも逆に考えると、野心がカッコ悪いんじゃないかと思われている社会だからこそ、動物園のゴリラを見に行くような感じで、野心100の人間を見てもらえるのが僕の仕事かなと。そこはすごくやりやすい部分もありますね。でも、レスラーを25年やってきた中で、「社長をやったら」とか「自分で団体を立ち上げたら」と何回も言われたんですけど、僕は25年間で一度も自分でお金の計算をしたことがないんですよ。僕がそれをすると、絶対みんなに悪影響を及ぼすってわかっているので。

髙田:計算が入ってくると感性が鈍りますよね。僕もすごく信頼している方に経理をお願いしていたんですけど、今年の1月に亡くなってしまったんです。経理って、本当に家族以上の信頼関係がないとダメじゃないですか。だから僕が引き継いで、自分の仕事をやりながらお金のこともやっているんですけど、すごくしんどいです。

――2020年初頭からのコロナ禍により、ジム経営、プロレス活動への影響もあったかと思います。当時はどんな状況だったんですか。

髙田:大変だったんじゃないですか? 大会ができないような期間もありましたもんね。

CIMA:その時はアメリカの大きな団体と契約してもらっていたので、生活的に困るということはなかったんですよね。でも最初の3ヵ月くらいまるまる試合もできなかったですし、ジムにも行けないというのはしんどかったです。

髙田:僕は指導者の立場として、家に機材を持って行って、オンラインで「みんな家でもトレーニングしましょう」みたいなことを表現しようと思ったんですけど、やっぱり家ではやらないなと思ったんですよ。でも外でやるのも微妙な感じだったので、夜中に自分のジムでトレーニングをやっていたんですけど。あの頃、本当に世の中が真っ暗だったじゃないですか。自分の将来の不安というか、すごい時代になっちゃうのかなって。その時に、これからは個人の価値観を上げていかないと生き残れないのかなと強く思ったんですね。ちょうど50歳になるかならないかくらいの時だったんですけど、自分の中で50歳ってすごくくるものがあったんです。社会的な責任も大きいなと感じていて。それで前の話に全部つながるんですけど、歳をとったとしても快適に、しっかり仕事ができて、誰にも迷惑をかけずにいたいなと。あとは社会貢献というか、誰かの役に立つようなことをしなければと思って、ジムを閉めていた期間を利用して栄養学の勉強をもう一回やり直したんです。2ヵ月間ジムを閉めなければいけなかったんですけど、2ヵ月閉めるって経営的にも厳しいじゃないですか。そこに対する不安がありながらも、思い返すとすごくいい時間だったなと思うんですよね。家にいる間は本を読んで、ネットを見て、お風呂に入る時も電子本みたいなものを持って行って勉強していました。あの期間にすごく変われたと思いますし、その後にジムを再開してからの指導も、全部変わってきたかなと思います。ああいう状況になったとしても、何を生み出すかが大事かなと思うんですよね。

CIMA:僕はこの年齢、このキャリアなので、3ヵ月試合がない、5ヵ月試合がないとなっても受け入れられるんですけど、一緒にやっている若い子たちはものすごく不安に思っていたと思います。コロナ前まではフリーのバブルではないですけど、毎週いろいろな団体を飛び回って、それこそ外国でも試合をしていましたので、マックスから一気にゼロみたいな感じになりました。僕らの場合は3ヵ月間試合ができなかったんですけど、そんな中でも海外の戦略というのは生きていたので、もう一度海外に渡るまでの間、ちっちゃい小屋を借りて配信マッチをやってみたりしたんです。でも、いよいよコロナ禍がいつ終わるかわからないというのと、1年近くアメリカに行けていなかったので、契約が一旦打ち切りになったんです。フリーの場合だと天井もないんですけど、下も底なし沼の状態だったので、自分たちがどこにアプローチをしていけば生き残れるかというのを考えるようになりました。真っ暗闇の中でも、たぶんどこかに穴が開いていたり、光があると思うんですよね。そういうのを探すようになりました。それで今の会社にたどり着いたんですけど。

髙田:今の時代って未来を見るのが難しいですよね。

CIMA:予測はできないです。僕は節目として25周年の試合をさせていただいたんですけど、ついてきてくれる若い子たちには「俺がプロレスラーとしての人生ゲーム、すごろくのあがり方を見せるから」って4年くらい前から言っていたんですよね。コロナですごろくが何マスか戻ってしまったんですけど、またそのすごろくのゴールに向かって進んでいくとともに、若くてバリバリに動ける子たちがよりよい環境でできるように、今所属しているGLEATという団体を発展させていくことが今の目標ですね。

髙田:僕は今日お話ししたことになるんですけど、誰でもみんな老化していくわけじゃないですか。それによってどんどん生きづらくなったり、可能性が狭まったりとか、いろいろなマイナス面も生まれてくると思うんですけど、そこを変えていかなきゃいけないなとすごく思っているんです。よく、「遅くから始めても大丈夫」みたいに言うことがあるじゃないですか。トレーニングなんてまさにそうだと思うんですけど、何かを始めようと思った時に、いくつになっても体さえしっかりしていれば、何かできるんじゃないかなと思っていて。みなさんがもうちょっと未来に可能性を見出せるように、ベースとなる健康だったりアンチエイジングだったりということを、これからはもっと強く、ウエイトトレーニングを軸に広げていきたいという気持ちです。

撮影/佐藤まりえ 取材・構成/編集部

髙田一也(たかだ・かずや)
1970年、東京都出身。新宿御苑のパーソナルトレーニングジム「TREGIS(トレジス)」代表。華奢な体を改善するため、1995年よりウエイトトレーニングを開始。2003年からはパーソナルトレーナーとしての活動をスタートさせ、同時にボディビル大会にも出場。3度の優勝を果たす。09年以降はパーソナルトレーナーとしての活動に専念し、11年に「TREGIS」を設立。自らのカラダを磨き上げてきた経験とノウハウを活かし、これまでに多数のタレントやモデル、ダンサー、医師、薬剤師、格闘家、エアロインストラクター、会社経営者など1000名超を指導。その確かな指導法は雑誌やテレビなどのメディアにも取り上げられる。
TREGIS 公式HP

CIMA(しーま)
本名・大島伸彦。1977年、大阪府出身。1997年に闘龍門1期生としてメキシコでデビュー。2000年に開催された第3回「スーパーJカップ」では、決勝で獣神サンダー・ライガーに敗れて準優勝となったが、一躍日本のジュニア界にその名を知らしめた。2004年、闘龍門から闘龍門ジャパンが独立しDRAGON GATEとなると、同団体でもエースとなり数多くの王座を獲得。2018年には海外を中心としたOWEで活動することを発表。ユニット#STRONGHEARTSで国内でも数多くの団体に精力的に参戦。2021年には全日本プロレスで世界ジュニアヘビー級王座を獲得。他の選手と同じ技を使いたくないというこだわりを持ち、数多くの高度なオリジナル技を開発。多彩なテクニックと、巧みなマイクアピールで現在もトップ戦線を走り続けている。2021年3月12日新宿FACEでのリング上で、自身と#STRONGHEARTSのGLEATの入団を発表。リデットエンターテインメント株式会社の執行役員、及びGLEATのChief Strategy Officerに就任。
GLEAT公式HP