野球、自衛官、柔道整復師…。さまざまなキャリアを経て、筋トレが自分にとって生活の一部に【My Training Life/奥志哉 前編】




アスリートから一般のトレーニーまで、それぞれのトレーニングとの向き合い方を紹介する連載「My Training Life」。今回登場していただくのは、野球を始めたことをきっかけに9歳から筋トレを始め、いまでもトレーニングを続ける奥志哉さん。現在、柔道整復師として整骨院、整形外科で勤務をし、慌ただしい毎日を送りながらも、忙しい合間を縫って効率良くトレーニングを継続しているという。「筋トレは生活の一部」と語る奥さんのトレーニングライフに迫った。

「僕にとって筋トレは歯磨きや食事をするのと一緒で、逆にやらないと気持ちが悪いですね(笑)」

衣食住+筋トレ。トレーニングは生活の中で欠かせない一つの要素になっているという奥さんが、筋トレを開始したのはなんと小学3年生から。トレーニングを始めたきっかけは、ほんの些細な理由からだったという。

「小学1年生から野球を始めて、練習や試合を重ねていく内に『もっとボールを飛ばせるようになりたい』『もっと早い球を投げるようになりたい』という思いが強くなって、父の勧めから筋トレを始めるようになりました。当時はYouTubeやSNSなどで気軽にトレーニングの情報を見ることが難しい環境だったので、自分なりに試行錯誤でやっていました。公園で懸垂をしたり、家で腹筋をしたり(笑)」


筋トレを始めて1年が経つと、体もがっしりするようになり、無理な体勢からでも強い打撃、スローイングができるようになるなど、体や野球のプレーに変化が表れるようになる。その後、中学、高校でも野球部に所属しながら、筋トレを続け、高校時代には1番バッターとしてチームをけん引。全国高校野球選手権大会の西東京大会予選ではベスト32に進出するなど、公立高校ながら強豪の私立高校相手に健闘したという。野球漬けの充実した毎日を離れ、卒業とともに就職。進んだ道は意外な環境だった。

「高校卒業後の進路は消防士になりたいなと漠然を考えていて、消防庁の面接も受けていたのですが、12月に自衛官の募集があると聞いて、「直感的にこれだ」と思い、すぐさま応募して高校卒業とともに入社しました」

入社後、新人自衛官として厳しい訓練を懸命に取り組みながらも、習慣である筋トレだけは続けていたという奥さんは、2017年に初めてボディビル大会に出場。この経験がさらにトレーニングにのめり込むきっかけになったという。

「当時住んでいた寮の同じ部屋に同居していた先輩が、ボディビル大会に出ていた方だったので、その方の勧めもあり、デビュー戦として東京オープンボディビル選手権大会に出場しました。初めての経験だったので準備も我流でやっていて(笑)、正直歯が立たないのではないかと思っていましたが、終わってみると、6位入賞で、ギリギリ上位に入ることができました。ただ自分なりに準備して、たまたま結果が出た形だったので、もっと確実に結果を残せるようになるために、トレーニングに関する知識を深めようと、当時気になっていた柔道整復師の資格を取ろうと、専門学校に通い始めるようになりました」

自衛隊員と専門学生の両立に向け、慌ただしい毎日が始まった。しかし、「どんなことがあっても続ける」ことを身上とする奥さんは、忙しい日々を理由にせず、あらゆる工夫を凝らして、トレーニングを継続した。

「朝6時にラッパで起床して、仕事が17時くらいに終わった後に、専門学校の授業が6時から9時から10時。そこから1時間かけて帰宅してすぐに寝て翌日の朝を迎えるというようなスケジュールで、起床後か、学校が終わってから少しだけトレーニングをするような日々でした。なので、少しの隙間時間も無駄にしたくなかったので、寮にちょっとしたトレーニングができる施設を作りました。同じ寮に住んでいる仲間などから協力してもらって、部屋と部屋の間にある自販機がある様なちょっとしたスペースに作りましたね。今でもたぶん残っています(笑)」

自衛官として過ごした6年間の生活を通して、どんなに忙しい毎日でも隙間時間に効率良くトレーニング時間を組み込む習慣、工夫が身についたという奥さんは、退職後から今でもトレーニングを継続している。

インタビュー後編では、継続の秘訣となる、奥さんの筋トレ環境や日々書き留めているノートの謎。そして、自身のトレーニングをSNSで発信する理由について迫る。

写真提供/奥志哉
取材・文/中野皓太

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