世界で活躍するアームレスリング女王・竹中絢音さん。インタビュー第1回では、普段のトレーニングやアームレスリングの技術について伺った。今回は、なぜ彼女が世界一を目指すようになったのか? そのルーツを聞いていく。
幼い頃から負け知らず
――今やアームレスリングで華々しい活躍をしている竹中さんですが、そもそもこの競技の存在を知ったのはいつ頃ですか。
小学校に入学した直後、7歳くらいの時です。じつは父もアームレスラーで、昔フジテレビが主催していた『GO-1グランプリ』というアームレスリング大会の地区予選に出場していたところを見て知りました。
――父親の影響を受けて、自分もやってみようと?
そうですね。本格的に競技として始めたのは10歳の時だったと思います。それまでは学校の休み時間とかにみんなで集まって腕相撲をやっていたくらいで。親の影響なのか、小さい頃から基本的に負けることがなかったんです。学校ではもちろん、父が稽古のために行なっていた道場の同世代の子との練習でも負けなかったのを覚えています。父が大会に出場するために本格的にトレーニングや練習を始めたことをきっかけに、「じゃあ一緒にちょっとやってみよう」と思って私も始めました。
――小さい時から、すでに競技として始めていたわけですね。
小学5年生の時に大会に出場した後からは、これを本格的にやっていこうと思っていました。父が出場する大会について行った時に、主催の方から「出てみなよ」と声をかけていただいて私も出場したのですが、優勝した人にまったく歯が立たなかったんです。それまではまさに負け知らずだったので、そこで初めて圧倒的な負けを経験したことで負けず嫌いな性格に火がつき、「来年のこの大会に向けてがんばろう」と、大会を見据えるようになりました。
世界で活躍するアームレスラーはあがり症
――その後は実績を積み上げ、2014年には日本一となり、2015年の世界大会ではジュニアクラス(18歳以下)のライトハンドで優勝(レフトハンド3位)、2016年には同じく世界のジュニアクラスでライト・レフトともに優勝しました。世界を意識しだしたのはいつ頃ですか。
もう最初からですよ。競技を始めた時から世界一を目指していました。その頃にテレビでアームレスリングが紹介されていて、それを見たのがきっかけだったと思います。それからは練習や試合でも、つねに世界で闘うことを考えています。
――夢だった世界の舞台を経験した感想を教えてください。
まず、日本とは規模が全然違いました。全日本大会は参加者がのべ500人くらいなのですが、世界大会ともなると各国から年齢別、体重別の代表が出場するので、3000人近くが集まります。会場も大きくて競技台もたくさんあるし、大きなスクリーンまであるので……。あがり症の私にとってはそういった緊張感の中での試合はとても刺激になりました。
――これほどの実績を残してきた選手があがり症とは意外です。
そうなんです。今は相手を倒す瞬間や試合前に気合いを入れる時に大声を出すのですが、最初の数年はそれをやっていなかったこともあり、緊張で力を出し切ることができていませんでした。いつだったか、父に「声を出せ」と言われてそうするようになってからは、リミッターを外せるようになりました。
――世界の舞台でもさまざまな経験をされて今があるわけですね。
アームレスリング大会はダブルイルミネーション方式で、決勝に無敗であがった選手はそこで一勝、一敗した選手はそこで二勝すると優勝となります。初めての世界大会では無敗で決勝戦にあがったのですが、1本目で負けて、そこから1勝取り返して優勝したんです。そういったギリギリの闘いができる環境がとても楽しかったので、「また世界に行こう」と思うようになりました。
◆最終回はアームレスラーとして世界を見据える竹中さんの取り組みについて
竹中絢音(たけなか・あやね)
オールジャパンアームレスリング連盟(AJAF)所属のアームレスラー、パーソナルトレーナー、セラピスト。10歳からアームレスリングの競技を始め、中学3年生でJAWA全日本アームレスリング選手権大会の女子-55kg級と-60kg級で左右優勝、WAF世界アームレスリング選手権大会ではジュニア(18歳以下)ライトハンド優勝を達成。2022年はAJAF全日本アームレスリング選手権大会の男子A2-60kg級でライトハンド優勝、JAWA全日本アームレスリング選手権大会の女子無差別級では左右優勝をはたした。
写真提供/竹中絢音
取材・文・インタビュー写真/シュー・ハヤシ