ベースの筋力アップは、吉田倭斗トレーナーが担当した。早稲田大学大学院でバイオメカニクスを学ぶ吉田トレーナーは、競技特性を考慮した強化メニューを谷口の肉体に施した。とくに重点を置いたのは下半身と肩まわりの強化だ。動作スピードや疲労度を測定する装置を使い、筋力の成長やその日の調子をデータで視覚化。それに基づいて現状に見合った種目を組み入れる科学的なパーソナル指導は、筋力トレーニングに不慣れだった谷口にマッチした。
「自分に合った体の動かし方に気づけました。無駄な力が抜け、無駄な動作をしなくなり、変な故障や筋肉痛もなくなりました。腰を落とすというより、自然に落ちる。これは新鮮な感覚でした」
小井師範も、その努力を献身的にサポートしてきた。支部長職だけでなく、新極真会の事務局長という重要な役職も担う多忙な日々の中、時間の許す限りともにジムでトレーニングをし、選手に寄り添う「プラスワン」の考えで、つねに近くから愛弟子を見守った。
「自分の弟子が世界大会の舞台に立つという重みはわかっているつもりですが、まだ想像できないんです。その時の自分の心情が。少なくとも谷口には『やれることを全部やったぞ』という心境が表情に出ているような姿で、その舞台に立ってほしいと思います」
二人三脚を続けてきた師との関係を、谷口は「ピッチャーとキャッチャー」と表現する。喜怒哀楽を共有した一つひとつの思い出が、心身を突き動かす原動力となっている。
「日の丸を背負った以上、日本代表選手が1位、そして上位独占というのが全員の目標ですが、自分の最大の目標はずっと支えてくださった小井師範への恩返し。それに尽きます。いつも道場の子どもたちには『試合が始まるまでは結果がすべて』と言っているんです。『入賞したい』とか『優勝できるようにがんばる』ではなく、必ず『優勝する』という一番大きな目標を立ててほしいと。自分もチャンスをいただいた以上、その気持ちを心に刻んで舞台に立ちたいと思います」
フルコンタクト空手最高峰のステージに上がり、型の初代世界王者を目指す権利を得るまで、谷口は多くの出会いに支えられ、導かれてきた。その中で、人生の喜びを教えてくれた大切な人物が、もう一人いる。
生まれた時、すでに父と母はいなかった。「お母さん」と呼んできたのは、借金を抱えて家を出た父に代わり、養子縁組をして育ててくれた父方の祖母だ。電気やガスが止まり、食べるものがなくなっても、母はわずかな食べ物を谷口に与え、「私はおなかいっぱいだから」と笑っていた。そして「失敗してもいい。なんでもやってみなさい」とあらゆるチャレンジを全力で応援してくれた。10歳で小椋佳氏が率いるミュージカルの主役を務めた時も、母はうれしそうだった。今でもその表情を思い出す。
「ずっと二人きりの生活で、お金のない時期もありましたけど、私自身は苦労を感じたことがありませんでした。母が全ての愛情を私に注いでくれて、やれることを全てしてくれたからです。私につらい思いをさせないように、父親のような役割もしてくれていました。どんな環境でも、いつも笑顔で」
亜翠佳という名には、「何事にも負けず強く生きてほしい。心清らかに自分も人も大切にしてほしい」という母の思いが込められていると、のちに知った。
やがて母は肺がんを患い、1年半の闘病の末に69歳で他界した。その晩年の介護をしている時、谷口は母が好きだった武道をやろうと決めた。
それから17年。谷口は日の丸を背負って戦うことを母の遺影に報告した。
【大会情報】
第13回全世界空手道選手権大会
主催:全世界空手道連盟新極真会
日時:2023年10月14-15日(型部門は14日)
会場:東京体育館
新極真会HP
文/本島燈家
写真/長谷川拓司
取材協力/WORLD WING AZABU、A SIDE STRENGTH & CONDITIONING
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