野球というスポーツは、じつは世界的に見るとマイナースポーツだ。だから今、日本やアメリカ発の普及活動がさまざまな形で行なわれている。その中からは、プロ野球選手も誕生している。ただし、それは我々が一般にそれと認知しているNPBではなく、そのNPBを目指す選手たちがわずかな給料をもらいながらプレーする独立リーグだ。日本の独立リーグにはこれまで、野球普及活動出身の途上国の選手が数人プレーしている。
今年、アジア各国で日本人から「未知のスポーツ」である野球の手ほどきを受けた選手たちで構成されたプロ野球チームが、ヤマエグループ九州アジアリーグに準加盟ながら参戦している。佐賀県武雄市・嬉野市をホームタウンとする「佐賀インドネシアドリームズ(以下ドリームズ)」だ。正直、その実力は高校野球2、3回戦レベルだろう。しかし、このチームを立ち上げたコーチの野中寿人さんは、「とにかく経験を積ませるため」とこのチームの意義を強調する。
ドリームズの選手構成は、その名の通り半数ほどがインドネシア人で、これにスリランカ、フィリピン、シンガポールの選手が加わっている。しかし彼らだけでは、ドラフト候補や元NPBの選手も在籍している他のチームとの実力差があり過ぎるため、数名の日本人とアメリカ人をひとり加えてなんとか試合を行なっている。それでも実際は、コールドゲーム(7回で10点差以上)を回避するのがやっとという状況だ。スタンドから見ていると、ドリームズの選手は線が細いし、プレー中の動きが野球のそれではない者が多い。
インドネシア、スリランカで代表監督を務めるなど、長年この地域での野球普及活動に携わってきた野中さんは、甲子園にも出場し、大学ではプロ入りも注目された元選手だ。
日本に来る前後で練習量は増えたものの、トレーニング内容はさほど変わらないと言うが、やはり野球を始めた時期と、これまでの絶対的な練習量が足りないのだろう。しかし、それは当たり前の話で、プロ野球や実業団のない現地で彼らは職に就きながら、または学生として野球をプレーしていたため、十分な練習を積むことができていなかったのだ。ドリームズができたのは、まさにこの点を解決すべく、彼らに報酬を支払い、競技に専念させ、彼らの母国の野球の発展に寄与しようという目的からだ。
そんな彼らを真のプロに育て上げるべく、フィジカル面で支えているのがトレーナーの松本彬さんだ。元高校球児であり、理学療法士とアスレティックトレーナーの資格をもつ松本さんは、長年独立リーグチームのトレーナーをしてきた経験から、まず、彼らのフィジカル面の弱さを指摘する。
「まあ、僕が昨年までいた火の国サラマンダーズ(2年連続独立リーグ日本一)の選手と比べるとさすがにかわいそうですが、筋力的なところ、瞬発的なところが弱いですね。僕は本業で平日は高校球児のフィジカルトレーニングを指導しているんですけど、彼らと比べても、越えている部分はありますけど、体格的なもの、筋肉量は総じて強豪校の選手より弱いですね」
そのフィジカルの弱さについて、松本さんは彼らの母国での運動習慣も原因のひとつではないかと考えている。
「全体的に瞬発力がないんです。向こうでは持久力を上げるトレーニングが中心だったのではないでしょうか。チームにはインドネシア人の他、フィリピン人もいるんですが、アメリカの影響(フィリピンは旧アメリカ領)からか、そういう点では彼らのほうがインドネシアの選手より優れていますね」
そんな彼らの普段のトレーニングだが、専用のジムもなくなかなか環境的には厳しい状態だ。だからどうしても全体練習は「野球中心」になりがちである。そんな中でも、彼らは彼らなりに情報を仕入れて、研究し、道具を持ち込んで、グランドでの練習の合間にフィジカルトレーニングに励んでいる。それでも、まだまだフィジカルの基礎を底上げする意識は足りないと松本さんは指摘する。
「フィジカル対する意識はないことはないんですが、やはりまだまだ日本人選手よりは低いですね。今はSNSが発達していますから、彼らもアメリカからよく情報を仕入れて実践していますよ。でも彼らの興味はメカニック面に偏っていますね」
つまりこういうことだ。現在、野球のトレーニングの世界では、球速140キロに到達するまではフィジカルの影響が大きいというのが定説となっている。しっかりフィジカルを鍛えあげれば、高校生でもこのスピードまでなら投げることができるというのは、他でも聞いたことがある。
しかし、ドリームズの選手の多くは、そのフィジカルの前に「メジャー仕込み」のメカニック的な部分に気を取られているというのが松本さんの見立てだ。
「東南アジア、南アジアでは野球はまだまだマイナースポーツ。だからトップアスリートは他の競技に流れていきます。そのレベルのアスリートなら、筋肉量はあるけれどもメカニック面でうまくそれを使えていないので、パフォーマンスがうまくいかないということはあるでしょう。でも、ここの選手はまだまだそのレベルではありません。メカニック面に興味をもつことは悪いことではないですけど、要はバランスですよね。彼らには、いくらメカニックを正しく使えても、例えば、この運動をこの数値までもっていかないと140キロは投げられないんだよって説明して、日々のトレーニングメニューに目標値を示しています」
松本さんの言う通り、取材中、ドリームズのピッチャーの投げるボールが140キロを計測することはなかった。彼らはその現実にあらためてフィジカルトレーニングの重要性を感じているだろう。正直なところ、今シーズン中に何とか1勝をあげたいと言う彼らは、まだまだ「プロレベル」ではない。しかし、彼らが日本で1シーズンを過ごし、140キロを投げ、念願の1勝を挙げることができたなら、それは、日本人がこの地域に蒔いた野球の種がようやく根付いたことを示す出来事となるだろう。