アントニオ猪木も実践 “プロレスの神様”が伝えたインド古式トレーニングとは?




アントニオ猪木いわく「キング・オブ・スポーツ」であるプロレス。様々な能力をアップするために、多種多様なトレーニングをこなしている。世界中の格闘技から練習器具、練習法、トレーニング法などを取り入れてきた。

従来の器具を改良したり、使い方にひと工夫したり、プロレス道場でプロレスラーは強くなるために頭を凝らし、体を使っている。

アントニオ猪木、ジャイアント馬場、カール・ゴッチでの一枚(写真/藤井俊之)

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日本にプロレスを持ち込んだ開祖・力道山の時代から日本マット界に関わってきた「神様」カール・ゴッチ。バーベルなどの器具に頼り過ぎず、自分の体重を利用しての筋力アップなど、独特の練習法を編み出していた。いわゆる「ゴッチ道場」である。

日本プロレス道場で厳しい練習をこなしていた日本プロレス戦士の中でも、猪木らはゴッチ門下生となり、ゴッチ流の練習法に汗を流していた。

ゴッチ道場の “名物” のひとつがコシティだ。先が太く手元が細い、こん棒で大きなものから小さいものまで、大小たくさんの種類がある。

インドやイランなどアジア南西部の一部地域で伝統的に使われてきた。手元を持って回すことで、肩を鍛え上げ、肩関節の柔軟性を向上できるという。手首や腕力、背筋力など体中の筋力をアップし、バランス感覚や体幹も強化もできる。

猪木が設立した新日本プロレス道場には、コシティが常備され、猪木はもちろん藤波辰爾、木戸修ら設立メンバーは元より、入門してきたヤングライオンたちが手に取っていた。

軽快に操るレスラーの姿に騙されてはいけない。ただ力任せに振り回しても、ゴンゴンと自分の頭や体にぶつけてしまう。それどころか肩や腕、手首などを痛めかねない。すっぽ抜けて、遥か遠くまで飛んでしまうこともある。コツがあり、コシティを自由自在に回して、やっと一人前と言われていた。

木戸修(写真提供/柴田惣一)

片腕・両腕問わず見事にコシティ名人ぶりを発揮していたのは、猪木、木戸、藤波らだった。不得意とする選手は、いつの間にか触らなくなっていった。

ゴッチ道場あるところにコシティあり、で米国フロリダのゴッチの自宅にもコシティが置かれていた。ゴッチ道場に入門した選手は全員、コシティも教えられたはず。

ただし、アマチュアレスリングなどを経験してきた者の中には、器具を使わず、独特の強化法を進めるゴッチのやり方に反発した者もいたようだ。科学的なトレーニング法の研究も進み、伝統的な方法で精神面の強さも追及するゴッチ流のやり方が徐々に避けられてきたのは否めない。

そんな中で、ゴッチから「マイサン(息子)」と呼ばれた真面目な木戸は、ゴッチ流を大切にしていた。現役引退後も神奈川・横須賀市の高台にある豪邸でゴッチ流トレーニングを繰り返していた。

自宅のすぐ目の前にある公園でダッシュし、アップダウンのある自宅周辺をランニング。天気の良い日は太平洋を眼下に眺めながら、自宅のルーフバルコニーで、雨の日はトレーニングルームで、ダンベルやベンチプレスで基礎体力を保ち、コシティを振り回していた。

「お声がかかれば、いつでも出陣できる」が口癖だった。何度かお邪魔したが、ある時から、髪の毛がロマンスグレーになっていた。

木戸と言えば一糸も乱れぬ髪型である。試合中でも髪の毛を触られると怒り爆発。わずかにでも乱れれば、手櫛ですっと目にも止まらぬ早業で直していた。床屋のモデルとして店先に写真が飾られたこともある。

もちろん引退後も髪型にはこだわっており、真っ黒に染め上げられていた。それが「もう自然でいいよ」とポツリ。もちろんロマンスグレーの髪型もイケオジそのもので格好良かったのだが、何か引っかかったことを覚えている。

はたして、数年後に木戸の訃報が飛び込んできた。髪染めが闘病には良くないという判断だったのだろうか。そういえば、グレーヘアーになった頃から「もう無理だな」とコシティを使うことをやめていた。

今でも木戸邸には、あのコシティが保管されているのだろうか。それとも、天国の道場で猪木、ゴッチとともに操っているのだろうか。空の上でも決してトレーニングは欠かさないだろう(敬称略)。

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