“プロレス界の帝王”こと髙山善廣の足跡をたどった「髙山善廣評伝 NO FEAR」(ワニブックス刊)が発売された。髙山選手は2017年5月4日の試合で脊髄損傷の重傷を負い、リハビリの日々を過ごしている。そんな髙山選手への支援と、偉大なる足跡を多くの人に知ってもらいたいという思いから誕生したこの本の著者である鈴木健.txt氏に、取材を通じて感じたことや髙山善廣への思いを聞いた。(4月22日取材/聞き手・佐久間一彦)
髙山善廣は新日本の“外敵エース”だった。時間が経って「再発見」できることもある
――「髙山善廣評伝 NO FEAR」を出版しようと思った最初のきっかけから教えてください。
鈴木 最大のきっかけはコロナですね。それまでは各プロレス団体さんに頼んで試合会場で募金箱を持たせてもらって、髙山さんへの支援を呼び掛けていたのですが、コロナによってできなくなってしまい、自分に何一つやれることがなくなってしまったんです。コロナが落ち着いた後もそんな状況がしばらく続いて、毎年(事故があった)5月4日が来るたびに、「この一年も何もできなかった」と思って。自分に何かできることはないかと考えた時に、もともと自分は書く仕事ですから、原点に戻るしかないと思ったんです。
――書くことで何か支援をできないかと考えたわけですね。
鈴木 はい。ただ、自分が髙山さんの本を書きたいと言っても、それに乗ってくれる人がいないとできないですから。そんな時にちょっとしたきっかけでワニブックスの方とつながることができて、その方も髙山さんのために何か力になりたいと考えていて、そこからはとんとん拍子で進んでいきました。
――本書は髙山選手本人が語るのではなく、17人の証言者によって髙山善廣像が描き出されるような構成となっています。
鈴木 帝王本人が「まだ現役だから振り返らない」という思いもありますし、今は本人が長く話すというのも難しい状況なので、周辺の方たちに髙山善廣を語ってもらうというのは最初の段階で決まっていました。

――多くのプロレス団体を股にかけて活躍してきた“帝王”だけに証言者の人選も大変だったと思います。学生時代の話は髙山選手からの人選だったそうですが、その他はどのようにして選んだのでしょうか?
鈴木 これは完全に自分の一存でした。もっと候補者はたくさんいましたし、プロレス界的なステータスが上の人も候補にいましたが、取材を進めていく中で、これは十分だというくらい話の取れ高がありました。時間の制限もあった範疇の中でやった結果がこの17人になったという形です。足跡をたどるとなれば、当然すでに表に出ているエピソードが多くなるので、「そんなこと知ってるよ」という話も多いと思いますが、髙山善廣を知った時期は人によって違うから、7割は知っているエピソードでも、3割初めて知るエピソードがあればいいかなと思っていました。その中で(リングスタッフの)296さんやマネージャーの石原さん、マスコミとして近くで帝王を取材してきた金沢克彦さんなどが肝になるかなと思っていました。
――髙山選手の歩みを本の中で振り返ると、改めてすごいことをやっていたんだなと感じましたし、帝王と呼ばれる所以を再認識しました。
鈴木 3団体トリプルクラウンを達成したのもすごいし、しかもそれをPRIDEからNOAH、新日本と同時進行でやっていたわけだから今では考えられないですよね。金沢さんが「暗黒期の新日本の外敵エースだった」と振り返ったのですが、当時からそういう認識で見ていた人はあまりいなかったと思います。でも考えてみると、中邑真輔や棚橋弘至の世代の壁となって育てていた部分もあって、新日本の一番しんどかった時期を支えていたのは実は髙山善廣だったという。だからプロレス界の帝王なんですよね。

――時間が経ってみて再発見できることもありますね。
鈴木 知っていることばかりだから読まなくてもわかるというファンの人もいるかもしれませんが、おっしゃる通り「再発見」できる本でもありますね。もちろん、その時代を知らない人にとっては新鮮な驚きもあると思うし。驚きと言っても裏話や誇張したわけでもなく、本当の実績が驚きの対象になっているわけですから。断片に知り得ていた情報がちゃんと線でつながったと思うので、それが線につながるような話を皆さんがしてくれたという意味でも本当にベストな17人だったと思います。
◆あの頃の濃密なドラマをちゃんと“名作”として今の時代に持ってくる