“プロレス界の帝王”こと髙山善廣の足跡をたどった「髙山善廣評伝 NO FEAR」(ワニブックス刊)の著者・鈴木健.txt氏のインタビュー。後編では本の取材・制作話だけでなく、昨年開催された「TAKAYAMANIA EMPIRE 3」でのこと、そして髙山選手の今後へ望むことも語ってもらった(4月22日取材/聞き手・佐久間一彦)。

髙山善廣は“総合プロレスラー”多くのプレイヤーに多大な影響を与えた
――出版後、イベントやSNSを通じて読者の方の反応で印象に残ったものはありますか?
鈴木 これはネットの声ではなく、読んだ人から直接聞いた話なのですが、「当時を知らなくても実際の映像が浮かんでくる、映画のような本」だと。活字を読むことでスクリーンの中の画を見ているような感覚になったと言ってもらいました。そう伝わっているのであれば良かったなと思いました。映像メディアが主となっている今の時代に活字で風景を想像させるというのは、ある意味プリミティブなやり方なんでしょうけど、それでも文献として残す必要性があるわけで。文字だけでどれだけの風景を頭の中に想像させられるかというのが本当にチャレンジでした。
――実際、髙山選手の足跡は本当に映画のようですが、鈴木さんが一番好きなのはいつの時代の髙山選手ですか?
鈴木 自分は休む前までの爆破をやったり、男色ディーノと絡んだり、なんでもやっている時代の髙山善廣が好きなんですが、もう1回その時代に戻って見たいと思うのは、PDIDEとNOAHを股にかけて戦っていた時代ですね。あの時代をもう1回見たら感じ方が違うと思うので。もう一つはタイミング的に実現しなかったことだけど、できれば一度はWWEに行ってほしかったなと思います。PRIDEで名前を売っていたし、当時はケン・シャムロックのようにUFCやPRIDEで名前を売った人がWWEに行くという流れもあったし、同じようにドン・フライとあれだけ殴り合った髙山善廣がWWEに登場したらセンセーショナルだったと思いますし、一度は見たかったですね。でも、最終的に爆破をやったり、男色ディーノと絡んだりというのは、本人が楽しそうにやっていたんですよ。二コプロに初代爆破王のベルトを持ってきたときは本当に嬉しそうだったんです。「こんなにいいもん手に入れちゃったぜ」みたいな感じで。
――髙山選手は25年前の2000年に「21世紀のプロレスラーに求められるもの」として「なんでもできるプロレスラー」と言っていましたが、本当にそれを体現していましたね。
鈴木 どのスタイルもできる“総合プロレスラー”なんですよね。僕がずっとプロレスを書いてきた中で“総合プロレスラー”という言い回しを使ったのは、帝王といろんなインディー団体に出まくっていた時のTAKAみちのくだけですね。TAKAみちのくも、みちのくプロレスでは飛んでいたけど、FMWでハードコアスタイルを、藤原組ではサブミッションをやってという感じで、“総合プロレスラー”だったんですよね。髙山善廣は“総合プロレスラー”で、なおかつすべてのリングで実績を残したというのは本当にすごいなと思います。
――改めてすごいレスラーだということがわかります。
鈴木 プレイヤーに与えた影響も大きいですよね。現在WWEで活躍する中邑真輔にしても、あるいはKENTAにしても、真壁刀義にしても、どこかしらでつながって影響を受けている。同じプレイヤーにあれだけ影響を与えるというのは本当にすごいです。自分を確立しているプロレスラーが、あそこまで髙山善廣に影響を受けているわけですから、どれだけプロレス界に貢献しているんだって思いますね。

今も現役プロレスラー髙山善廣を見続けているんだと書きながら思った
――この本の最後には取材に答えた17人が「それぞれのノーフィアー」として、髙山選手のことを語っています。鈴木さんにとっての髙山善廣とは?
鈴木 難しいなぁ…。月並みな言い方をすると、今はリングを離れているけど、様々な人に影響及ぼして力を与えているという意味で、ちゃんと今でも現役のプロレスラーなんだなって思います。それを一番具現化したのは昨年の「TAKAYAMANIA EMPIRE 3」ですよね。あそこでは一切技を出していないんですけど、鈴木みのると向かい合っただけでプロレスの試合として成立して、なおかつ東スポプロレス大賞のベストバウトの候補にもあがったという。思い入れとして「ベストバウトだ」と言う人はいるけど、正式な場でベストバウト候補としてあがったのは、それだけ強烈なものだったということですから。
――向かい合った時の緊張感や髙山選手が立ち上がるのでは?と思わされる空気感だったり、2人の表情だったり、魂を揺さぶられる試合でした。
鈴木 実際、立ち上がるのでは?と思わせたし、逆に立ち上がれなかった現実を見せられた場でもあった。どっちも味わわなければいけない場面だったんだけど、あそこで人の心を揺さぶる絶大なパワーがあったし、本を書きながらも自分は今も現役プロレスラーの髙山善廣を見続けているんだなと思いました。

――髙山選手は常々「戦いを見せるのがプロレスラーだ」と口にしてきました。「EMPIRE 3」しかり、先日スタートさせたYouTubeしかり、これからも戦う姿を見せていくという気持ちなのかなと感じました。
鈴木 今の姿を見られたくないという時期もあったと思うんですけど、そういう時期はもう脱却していて、今の自分でも人に何かを伝えることができるという境地に達したんだと思います。これからいろんなコンテンツが発信されていくと思うので、現在形の髙山善廣をみんなに見てほしいと思いますし、「EMPIRE 3」までの髙山善廣は、この本の中に全部詰まっているので、ここにこれからの髙山善廣を皆さんがプラスして、心の中でページ数をどんどん増やしていってほしいです。
――きっと今年も「TAKAYAMANIA」は開催されるでしょうし、YouTubeでは「体の全部のパーツがそこにあることを感じられるようになってきた」と発言していましたし、元気な髙山選手を見られる機会も増えるかもしれませんね。
鈴木 これは帝王の話ではないのですが、2月に闘道館でシン・広田さくら選手のトークイベントをやったんです。彼女は肩を脱臼して欠場していたんだけど、一時期は神経が麻痺して全然感覚がなかったそうなんです。医師に聞いたら神経はいつ治るとは言えないそうで、ある日突然良くなることがあるんだと。その言葉通りで、前日まで動かなかったものがある日突然動くようになったと言うんです。医師が言うにはイメージトレーニングではないけど、「動け」「動け」と思い続けることが大事で、実際に広田選手はそれを続けるうちに動いたと。
――あの「EMPIRE 3」で鈴木選手と対峙して「立つんだ」という姿勢を見せたことは実はすごく大事なことなんですね。
鈴木 そうだと思います。もちろん、リハビリも大事だけど、ある日突然動くようになるという実例もあると聞くと、髙山さんだって可能性はあるんだなって思えたんです。もう一つ、iPS細胞を使った脊髄損傷治療で機能改善が見られたという発表がありましたよね。

――3月に世界初のケースとしてニュースになりましたね。
鈴木 あれは慶応大学病院でしたが、他にもいろいろな機構がiPS細胞の研究のための寄付を募っていて、自分は京都大学のiPS財団に毎月寄付をしていますが、無理しない額なので続けられるんですよ。それが直接的に髙山善廣のためとはならずとも、研究が進んでいけばいつか髙山さんに到達するかもしれない。そう思って寄付を続けています。これは出版記念イベントの最後にも言っているのですが、iPS細胞の研究に興味を持ったり、何か髙山さんの力になりたいと思ったりしたら、そういう機構に寄付をしてくれたら嬉しいなと思います。もちろん、この本を購入することも髙山選手の支援になるので(売り上げの一部がTAKAYAMANIAに寄付される)、ぜひ多くの方に手にとってほしいです。
【書籍やYouTubeの情報は下記をチェック】
◆「髙山善廣評伝 NO FEAR」
◆髙山善廣YouTubeチャンネル
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