「男はボディビルだ、すべてをさらけ出せ!」「サーフパンツでかっこつけてる場合じゃない」ノリで飛び込んだ世界 シン・三島流平の幕開け




プロキックボクサーとして活躍し、知人の誘いでボディビルへの道へと進むことになったという三島流平。その決断は、後に日本国内で活躍し、国際大会でも実績を残すことにもつながった。今回は、ボディビルへの転向当初のことを聞いていく。

【フォト&ムービー】ボディビルデビューを飾った頃の三島さん

――格闘家の仲間から誘いを受けて、33歳の頃に茨城県取手市の「スポーツジムWIN」に入会。ここからボディビルの道へ進むことになりました。

「どっちかっていうと当時は、フィジーク競技の人気が出始めた頃でしたけどね。サーフパンツを履いて爽やかでかっこいいし、ベストボディジャパンとかそっちのほうがいいんじゃないかなとも思いました。でも、30歳を超えてくると、 そんな風にかっこつけてる場合じゃないなと自分は思って」

――すんなりとボディビルのほうがいいと。

「もちろん最初は、足が細いし、ボディビルパンツは恥ずかしいなとか思いましたよ(笑)。でも友人が、『男はボディビルだ、すべてをさらけ出せ!』って言いますし、『これが俺だ』って主張できるほうがいいなって感じました。僕は昔も今も単純なので、やっぱりかっこつけてる場合じゃない、よしボディビルだと、ノリで始めた感じでした」

――必ずしも「筋トレ=ボディビル」というわけではないと思いますが、三島さんの場合はボディビルが先にきていた。

「そうです。『スポーツジムWIN』の会員になるときにも、『俺はボディビルダーになりたいんです』と言ったと思います。じゃあ、どれくらいやったらボディビルダーになれるんだろうと思って尋ねたら、オーナーの齊藤要さん『君は2 年もあればチャンピオンになれるよ』って言われたんです」

当初はフィジークにも出場していた(左が三島さん)

――そんなこと言われたら、三島さんの性格ならもう…

「単純だから、また思い上がっちゃって(笑)。髪の毛を金髪にして毎日ジムに通って、1年経たずに大会デビューしてました。2016年10月に通い始めて。2017年夏の関東クラス別 ボディビル選手権の75kg以下級が最初だったと思います。そのときは、あまりに周りが褒めちぎるもんだから天狗になってたし、実際にプロで格闘技もやってきて根性もあるし、『俺はいける!』なんて思ってたんですけど、そんなに甘いもんじゃなかったですね。あっさり予選落ちでした」

――ちなみに、その頃は結局フィジークにも出場されていますよね。

「試しに、という感じで、栃木県のオープン大会に出て準優勝。『あれ、俺ってボディビルもいいけどフィジークにも才能があるのか』と、また勘違いしちゃって何度か出てみました。ただ、あの頃の茨城にはボディビルを教えられる人はいても、フィジークのポージングを教えられる人はいなかったんです。だからステージ上ではもう完全に我流で適当だから、それほど成績は伸びず。結局、フィジークはやめてボディビル一本。2018年の茨城県選手では8位入賞することができました」

(第4回へ続く)

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