悪しき伝説の“公園ボディビル”と『壊れた優勝カップ』悲惨な地方連盟の現状に「優勝したのに報われない…」と感じたあの日




2022年茨城県選手権で優勝した三島さん。だが優勝カップは取っ手がない

2022年には日本有数のトップビルダーとして各種大会で実績を残してきたが、もっとも欲しいタイトルは夢だった「ミスター茨城」。実際にそのタイトルを手にすることになるのだが、三島流平を待っていたのは、ショッキングな出来事と、浮き彫りになった地方ボディビルの惨状であった。

【フォト&ムービー】“公園ボディビル”で戦う三島さん

――2022年は実績を積んだ1年でしたが、そもそもコロナ禍でトレーニングのモチベーションは落ちたりしなかったですか?

「『絶対にミスター茨城を獲る』という執念を燃やしていたので、コロナ禍でも集中力が途切れることはありませんでしたね」

――そしてやってきた2022年9月11日の茨城県ボディビル選手権大会ですが、その頃、茨城県連盟はさまざまな問題を抱えていたと聞きました。

「良くない噂も多くありました。僕自身もどうにかしたいと思い、日本ボディビル・フィットネス連盟(JBBF)に相談するなどして動いてみましたが、『地方は地方でやってくれ』という感じで取り合ってもらえず、助けてくれる人が誰もいませんでした。もう茨城県連盟は孤立しているような状況です。しまいには、茨城県チャンピオンを決める大会の会場が、もともとは公民館でやる予定だったものの、公園(笠間芸術の森公園 野外コンサート広場)になってしまった」

――イベント的なものならまだしも、競技会として行うボディビルを屋外でというのは、通常はありえませんね。

「実際に大会が始まり、最初は、一応コンサート広場なのでステージの上でやっていたんです。でも、時間が経つうちに太陽の動きによって客席から見ると逆光になり、審査員の方もちゃんと見ることができないということでステージを下ろされ、審査員の後ろ側に回らされてポージングを行いました。審査員が椅子に座りながら半身になって振り返り、そのすぐ前で僕らがポーズをとっている、というありえない形式でした」

公園ボディビルのステージに立つ三島さん(中央)

――結果的に三島さんは優勝し、茨城県チャンピオンになりましたが…

「優勝カップをいただいたのですが、そのカップの片方の持ち手の折れて取れた状態で渡されたんですよ。そんなことあるんですか?と、もう本当にショックで…。僕は、ボディビルを始めた頃から、茨城県のチャンピオンになることが夢でした。でも、いざ『ミスター茨城』の称号を手に入れたら、このありさま。自分が求めていたものとは違ったし、優勝したのに、それまでの努力が報われた気になりませんでした。さらに言えば、地方大会ですし連盟があの状況なので公式カメラマンなどもおらず、この姿はどこにも残らない。なので、どうしても何かに残しておきたいと思い、スマートフォンで撮ってもらった写真を『月刊ボディビルディング』の編集部に送って頼み込み、ありがたいことに掲載していただくことができました」

片方の取っ手がない優勝カップ

――その悲痛さを、当時SNSで発信されていましたね。

「正直、これがあってちょっと僕の中でボディビルへの不信感が生まれてしまったというか、良く思わなくなってしまったのは事実です。優勝したのに悔しすぎて、なんでこんな状況なんだろう、なんで誰も助けてくれないんだろうと。一方で、“日本”の名が付く全国大会は華々しく行われていて、写真や動画がSNSにもたくさん載って盛り上がっている。地方の状況は、みんな見て見ぬふり。この状況を伝えたくてSNSで発信したら、『そういう発信の仕方は間違っている』という声もたくさんいただいたので、当時はかなり孤立していましたね」

――根っこにあるのは「助けてほしい」という気持ちだと思うので、決して間違った発信ではなかったと感じます。

「まぁ、あまりにショックすぎて性格がひん曲がってしまったかもしれません(笑)。ただ、JBBFには何度も電話をして現状を伝えていたから、正直、面倒なやつだと思われていたとは思いますが、翌年に日本クラシックボディビル選手権で準優勝をした際には、世界大会への派遣選手に選んでくださりました。それはすごく嬉しかったですし、ちゃんと選手として認めてもらったのだと感じました。やっぱり自分は単純ですし、優勝してもちゃんと認められていないと感じていたところだったので、親切にされるとありがとうの気持ちを返したくなるんです。そこからは、JBBFには何も言わなくなりましたね(笑)」

(第6回に続く)

▶次ページ:2022年の茨城県ボディビル選手権のステージ