2022年は念願の「ミスター茨城」を獲得したものの、残ったのは悔しさとやり切れない思い。煮え切らない思いを抱えたまま迎えた2023年、三島流平が下した決断は「出られる大会は全て出る」だった。
――2023年、とにかくたくさんの大会に出られましたね。われわれ取材する側としては、「どの会場に行っても三島選手がいる」という感覚でした。
「本当に2022年は、茨城県大会で優勝したのに何も得られなかった、悔しすぎる、誰かに認められたい…という気持ちがありすぎたので。まさに暗黒の炎が燃えたぎっている状態で臨んだのですが、何個出たんだろうな…」
――数えたら17大会でした。
「もう、出られる大会は全部出てましたね。東日本や関東、“日本”がつく大会はもう全部。クラシックフィジークだろうが、クラシックボディビルだろうが、ボディビルだろうが、カテゴリーも関係ない。ほぼ毎週、ダブルエントリーもトリプルエントリー上等だっていう気持ちで」
――それを、普通に仕事をしながらですよね…?
「いやー、きついですし、お金もかかります。遠征、遠征の連続で、有給休暇もあっという間に使い切っちゃうわけですよ。でも、それ以上に結果出したいし、誰かに認めてもらいたい。まぁ承認欲求が強いタイプなので(笑)。結局ボディビルはプロではない以上は趣味の範囲なんですけど、自分の名前を売りたくて一生懸命にやっていた、それだけだと思います」
――ただ出るだけでなく、しっかりと結果もついてきていました。
「とはいえ、だいたい決勝には残れるんですけど、表彰台に乗れるかと言ったらなかなかそこは厳しかったですね。でも、前に話したように、やっぱり1週間でコンディションは確実に変わる。もう“連戦の減量法”で、多く出ていればどこかでバチっと合う日がくる、どこかで表彰台に昇れるはず、そういう粘り強さと気持ちです。結果的に、日本クラシックボディビル選手権(2023年8月/大分県)の175cm以下級で準優勝となり、世界大会への派遣選手に選出いただけました」

――この頃から、これまで名選手を輩出してきた「横浜マリントレーニングジム」にも通っていますよね。トレーニングはもちろん、谷澤一矢さんや吉田真人らによるポージング指導に定評のあるジムです。
「武者修行です。単純にもっと結果を出したいというのもありますし、やはり茨城だと、なかなか全国大会レベルのポージングを教えてもらうのは難しいんですよ。決勝に残っても準優勝止まりだったこともあり、あと一歩の努力が足りないのかなと思っていたところ、アーノルド・クラシック・ヨーロッパ2023(スペイン・マドリッド)という国際大会に日本代表として派遣された際にマリンジム所属の岸田勇輝選手と同部屋で仲良くなり、ポージングを習いに行くことになりました」
――この年は、日本ボディビル・フィットネス連盟(JBBF)の大会に出尽くした後、12月のゴールドジムジャパンカップ(ゴールドジム主催のボディコンテスト「マッスルゲート」の日本大会)にも出場されました。
「実は、そこにけっこう懸けてたんですよ。前年の大会を見ても、雑誌などで大きく扱われますし(笑)。ボディビル75kg超級では浦岡慎之助選手というすごい人が現れて涙を飲んだのですが、クラシックフィジークでは優勝することができました。『月刊ボディビルビルディング』でも表紙に掲載いただき、『取材とかいっぱいくるかな?』と期待して待っていたのですが、そこまでで。やっぱり自分は、ボディビルで優勝しなきゃいけないんだなと思いましたね(笑)」
(第7回へ続く)