練習後にライオンプッシュアップを100回 強靭なる51歳“DDTのエース”の肉体づくりの原点【HARASHIMA#1】




「鍛えているからだ!」DDTがプロレス業界の中で大躍進した原動力となったのは、“DDTのエース”ことHARASHIMAが説得力のあるプロレスを続けてきたからだ。その精悍な顔つきは、デビューから20年以上たった今も変わらず、その年齢(51歳)を知れば驚く人がほとんどだろう。そのHARASHIMAに、強靭な肉体を作り続ける秘訣を聞くインタビュー。全3回の第1回は、HARASHIMAがプロレスラーになるまでのお話を。

プロレスラーになるまでを語ったHARASHIMA(写真/橋場了吾)

【写真】年齢を感じさせない51歳・現役レスラーの試合フォト

学生プロレスをやっている頃はひたすら自重トレーニング…今の若い子たちが羨ましい

HARASHIMAが帝京大学の学生プロレス出身であることはよく知られているが、その以前にはどのようなスポーツをしていたのだろうか。

「もともと“戦う”運動はすごく好きな子どもでした。それこそ小学校低学年のときは『にこにこ体操』というちゃんとした教室に通っていて、自分は走り回って遊んでいた感じだったんですけど、小学校3年生のときにちびっこレスリングに通い始めました。当時からプロレスが好きだったので、アマレスのルールも知らずに始めたんですけど(笑)。ただ父親が転勤族で1年しか通えなかったんです。ただ戦いたい欲はずっとあって、中学のときに友達が空手を始めたんですが、これも父親の転勤で3年で終わりました。『村上竜司に勝った佐竹雅昭すげえ!』みたいな時代ですね。その後にK-1ブームが来た頃です。その空手のときから基礎練習はやっていましたね。腕立てならぬ“拳立て”や、円になって腹筋を踏んで歩くみたいな感じで。高校時代はすごく細くて、60kgしかなかったと思います。大学でも70kgでしたね」

大学で学生プロレスに身を投じたHARASHIMAだが、なかなか体重が増えなかった。理由は単純だった。

「今思えば、絶対的な食事量が少なかったですね。あと体つくりに関しては、ウエイトトレーニングをする設備も今ほど整っていた時代ではないので、学生プロレスをやっている頃はひたすら自重トレーニングでしたから。今の若い子たちが羨ましいですよ(笑)。しかもトレーニングのことを(インターネットで)すぐに調べられますしね」

プロレスラーには“なれない”と思っていたし、おこがましいとも思っていた

かつてから因縁があった新日本・棚橋弘至にキックを見舞う(©DDTプロレスリング)

HARASHIMAはそもそもプロレスラーになる気はなかった。

「僕はプロレスラーには“なれない”と思っていたんですよ。プロレスラーになるのは“特別な人”だと思っていたので、僕はプロレスラーにはなれない、ただプロレスが好きだから学生プロレスをやっている感じでした。プロになることを、おこがましいとも思っていましたし」

じつはHARASHIMAが大学1年生の時に、4年生にはスイーツ好きでおなじみの真壁刀義(新日本プロレス)がいた。

「真壁さんはしっかりしていましたね。体もしっかりつくっていましたし、新日本が大好きだから絶対新日本に行くと決めていたみたいで。僕は新日本が好きだったわけではないですし、学生プロレスでよかったんですよね」

そのHARASHIMAの運命が変わったのは、2001年にDDTのリング設営の手伝いに行くようになってからだった。

「当時のDDTは今より規模が小さくて、選手もスタッフもいないので、学生プロレスをやっている子や経験者がリング設営や興行の手伝いをしていたんですよ。そういう子なら頼みやすいだろうって(笑)。それで僕もリング設営の手伝いに何回か行っているうちに、『学生プロレスをやっていたなら、ちょっと試合をしてみない?マスクマンで』と誘われたんです。当時は格闘技の練習はしていたんですが、プロレス向きの体を作っていたわけではなくて。でも基礎体力はしっかりやっていて、腕立て300回とか練習後の“補強”とか」

この“補強”というのがすさまじかった。

「練習が全部終わった後に、ライオンプッシュアップを100回やるんです。格闘技ではこれこそ必要な力で、疲れたときにどれだけ頑張れるかが勝ちにつながるので、あえて練習後の疲れているときにきついことをするのが“補強”なんです」(#2に続く)

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