2012年にDDTプロレスリングでデビューし、多くの王座を獲得してきた遠藤哲哉。その均整の取れた肉体は、写真集も発売されフィジークの大会に参加するほど。彼の体づくりに対するストイックさは、業界内でも有名だ。2025年1月からはプロレスリング・ノアを主戦場にしている遠藤に体づくりの秘訣を聞くインタビュー、全3回の第1回は学生時代の新体操部のお話を。(取材・橋場了吾)

しんどかった新体操部を辞めたものの再入部した中学時代
遠藤哲哉のベースになっているのは新体操だ。現在の相手の攻撃をかわす際に、また割りの要領で身を屈めることも多い。しかし、遠藤の新体操生活は順風満帆ではなかった。
「僕が中学校に上がったタイミングで、小学校の頃から男子新体操をずっとやっていた仲がよかった友達が部活に入るというので、僕も一緒に入りました。(生まれ故郷の)宮城県には中学校で新体操部があるのが二校しかなくて、その一校は部員が一人しかいなくて。もう一校が僕の行った学校なんですけど、全国大会でも常連だったくらい強かったんです。たまたま、近所の中学校が新体操の全国大会の常連校だったんですよね。小学校のときは、マットの上でバク転をやってみたりしていましたけど、むしろ運動は嫌いな方で完全なインドア派でした。絵を描いたり、折り紙を折ったり(笑)。とにかく疲れるのが嫌だったんですよね。なので、いきなり新体操を始めたところで活躍できるわけもなく、ずっと下っ端作業ばかりでした。音楽をかけたり、声掛けをしたり……それで中1の12月にはしんどくなってしまって、やめちゃったんですよね」
遠藤はその後、小学校時代に習っていたソフトテニス部に転部。しかし中3になり、ソフトテニス部を引退した遠藤は新体操部に再入部することになる。
「風の噂で『新体操部が部員を探している』というのを聞いて、自分の脳内で勝手に『遠藤に戻ってきてほしい』と変換して(笑)。人が足りていないんだったら、もう一度やろうかなと思って、当時の監督に話にいったら『どうしてもやりたいなら』ということで再入部しました。もちろん、僕のことを求めているわけではなかったので、また音響ですよ(笑)。でも全国大会では、最後の最後で試合に出させてもらえました」
飯伏幸太のアクロバティックな動きを見て感化されレスラーを目指した

遠藤によると、新体操と器械体操は似て非なるもので、新体操は想像するほどの筋力は必要ないという。
「新体操には器械体操と違って床しかないので、筋力より柔軟性が必要なんです。ロンダートはありますが、(腕をつくのは)一瞬のことなのでそんなに筋力は必要なくて。あとは、団体競技もあるので協調性ですね。トレーニングは、自重トレーニングばかりで器具は使っていなかったです。あと、足の持久力をつけるために、壁に背中をつけた“空気椅子”をやっていましたね」
高校進学の際、遠藤は新体操部がある高校を探した。宮城県内の新体操部がある数校の中から一校を選び入学し、3年間の新体操部生活を全うした。
「高校でもバーベルやダンベルは一切使わず、自重トレーニングでしたね。あとは、開脚など柔軟運動です。股関節はもちろん、肩の柔軟性も重要なので(すっと腕を上に綺麗に伸ばして見せる)。プロレスでは姿勢を特に意識することはないんですけど、勝手に(綺麗に)なっているのかもしれないですね」
学生時代は新体操中心の遠藤だったが、小さい頃からプロレスは見ていた。当時は一ファンだったが、テレビでDDTプロレスリングから新日本プロレスに参戦していた飯伏幸太(現AEW)の試合を見て、プロレスラーになりたいという欲求が湧き始める。
「高校卒業後にすぐ就職するのが嫌で、建築製図の専門学校に行ったんですよ。これも友達が行くというので軽い気持ちで入ったんですけど(笑)。そのころに飯伏さんの試合を見て、新体操に通ずるアクロバティックな動きをしていて、自分でもできるんじゃないかと思って、髙木(三四郎=当時DDTプロレスリング社長、現サイバーファイト副社長)さんにSNSでメッセージを送ったら、すぐに履歴書を送ってくれと返事をいただいたんです」
(#2へ続く)