文科系女子大生が人力車を引くようになった理由 きっかけはアナウンサーを目指した就職活動




幼少のころからピアノを弾いていた少女は、あるときアナウンサーを志す。しかし、就職活動がなかなかうまくいかない。そんなときに出会ったのが「人力車」。そういえば小さいころに祖父と乗ったことがあった。その祖父とはラジオをよく聴いていた。あ、ラジオのDJという道もあるか…。点と点がつながった“人力車店長DJ”関森ありささんの物語。全3回の第1回は文化系少女だった関森さんが人力車に出会うまでのお話。

漠然とアナウンサーへの憧れを抱いていた学生時代

週の半分はラジオDJとしてマイクの前に座る(写真提供/関森ありさ)

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関森さんは生まれも育ちも東京都江東区。そして今も週の半分は、江東区のレインボータウンFM(88.5MHz)でDJとしてマイクに向かい、もう半分は浅草寺雷門前で「観光案内人力車 天下車屋」の俥夫としてお客様を案内している。

「私は小さいころからスポーツ歴が全然なくて、正直人力車を始めるときは結構大変でした。私の母がピアノの先生で、ずっと文化系の生活をしていたので、自分が将来人力車をひくなんてことは想像もしていませんでしたね。ピアノは4歳くらいから始めて、20歳くらいまでずっとやっていて、今も趣味レベルですけど弾いています。中学時代は生徒会長で、バスケットボール部には入っていたのですが、メインは生徒会でしたね」

生徒会長というと、人前で話すことが多いイメージだが…。

「得意だったのかな(笑)。いや、全然そんなことはないです。本当、周囲の方々に助けられている人生ですから。そもそも生徒会長をやるかやらないかも迷っていて、当時の担任の先生に『枠が空いているからやってみないか』と言われて、推薦みたいな感じだったので。そのころには、アナウンサーへのあこがれみたいなものはありましたね。小さいころからテレビが好きで、アナウンサーはキラキラしていていいなというくらいで、遠い世界の方々というイメージではありました」

そのあこがれを、現実のものにしていこうと思ったのは大学時代だった。

「心の中のどこかで『アナウンサーになりたい』と思っていたものの、就職活動をする上でいろいろな企業の説明会やインターンに参加していたんですが、なかなか自分の中で引っかかるものがなくて…将来、自分は何になりたいのかと思いながら漠然と受けているわけです。ただ、インターンの受け入れ先の方々の前で、自分で原稿をまとめたり発表したりすることが好きだなと思い始めたんです。それで、遠い世界だと思っていたアナウンサースクールの説明会に行きました。大学3年生になる直前ですかね、某局のアナウンサースクールに行ったところ、ある著名な女子アナウンサーの方が、人生は一度きりだから思ったことは行動に移した方がいいし、後悔のない就職活動した方がいい、みたいな話をされていて、実際のアナウンサーの方からお話を伺ったら、自分もこういうアナウンサーになりたいという思いが出てきて、いい意味で引っかかってきたんです」

エントリーシートに書く“武器”を身につけるために人力車の世界へ

天下車屋浅草店の店長として活躍中(写真提供/関森ありさ)

しかし、アナウンサーになる門は狭かった。

「大学3年生からスクールに入ってというスタートは遅いほうなんですけど、小さいころからやると決めたときの集中力はあったほうなので、滑舌など基礎の練習をしていれば北海道から沖縄までどこかの放送局には受かるだろうなと軽い気持ちでいたんですが…まず大学3年生の秋にキー局はエントリーシートで全部落ちて、それに続く大阪・名古屋・札幌といった基幹局もエントリーシートすら通らないわけです。そのあと、ようやくエントリーシートが通る局はあって面接に行くと、美人で高学歴、ミス○○みたいな肩書がある方々ばかりで、自分とはオーラが違うなと。

この中で内定に至るのは難しいと思って、私には何か“武器”はあるだろうかと思ったんですが、それもなく…。私が勘違いしていたのは、アナウンサーは技術があればなれると思っていたんですが、実際は人間力だったんです。自分にどれだけ魅力があるか、自信を持てるか、そういうのがなかったなと痛感して、個人でやられているアナウンサースクールの説明会に参加したんです。そのスクールは個別で人間力を養うアドバイスをしてくれるんですが、技術論というよりもパーソナリティを上げることが必要という話が軸だったんですよね。

そこで人間力を上げるためにはどうすればいいか聞いてみたところ、『アナウンサーは人を楽しませるための職業だから、人を笑顔にするトークが身につくような仕事、たとえばディズニーリゾートのキャストや人力車みたいな…』と。人力車?女子はひけないでしょ?と思ったんですが、『人力車の俥夫は、一人で話を聞いて、一人で判断する。一人でお客様を楽しませる。だからテレビのように画面の向こうの何人もの相手を楽しませるためには、目の前の一人の心を動かさないといけない』と。それで人力車に興味を持って、どんな会社があるのかを調べ始めました」

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