「気がついたらプロレスラーとしてのキャリアよりも、ステーキ店の経営者としての期間のほうが長くなってしまいましたね」
都内でステーキハウス『ミスターデンジャー』を営む元プロレスラーの松永光弘は感慨深げにそう語った。
90年代に超過激なデスマッチに挑みまくってプロレス界にその名を刻んだ松永光弘。「自分の名前を使って店を出しているんだから、毎日、店に出ないといけない」という確固たる信念のもと、今でも厨房に立ち続けているが、来年、還暦を迎える元プロレスラーが連日連夜、長時間の立ち仕事をこなしていること自体、かなり特別なことなのである。
プロレスラーはその競技の特性上、どうしてもヒザや腰を痛めがちだ。引退後、ある程度の年齢になると、杖をついているOBの姿が多くなってくる。これはある意味、職業病なので避けようがないのだが、なぜ松永光弘は元気なのか?
「私の場合、引退後にそうならないように意識してきましたからね。現役のうちからセカンドキャリアとしてステーキ屋をはじめるための修行をはじめて、ヒザや腰がボロボロになってしまう前に引退したんです。あのまま現役を続けていたら、こうやって立ち仕事はできていなかったでしょうね」
ステーキ店をオープンさせた時点では、まだ現役のプロレスラーだった。『ミスターデンジャー』はびっくりするほど柔らかいステーキを安価で提供することで人気となったが、じつは筋が多い部位の肉を安く仕入れて、その筋を丁寧に取り除く作業をすることで驚きの柔らかさを実現させていた。店が繁盛しはじめると、この手法を真似る競合店が増えたが、どの店も「あんな作業を毎日、続けていたら、どんなに儲かってもこっちの体がぶっ壊れてしまう!」と音を上げて撤退していった。そう、毎日、固い肉の筋を切り落とす工程は現役プロレスラーだった松永光弘の人並外れた体力と腕力がなければできない『離れ業』だったのだ。
「基本的にトレーニングオタクなので、引退してからもジムに通ったりして、ずっと体は鍛え続けてきました。一時期は本当にトレーニングにハマりすぎてしまって、真剣にボディービルの大会に出場しようと考えていましたから」
休日にジムに通うだけでなく、店の近くに24時間のフィットネスジムがオープンするとすぐに入会。深夜に店を閉めたあと、帰宅する前にジムで汗を流してから帰宅するのが日課になっていた。現役時代と違ってリングに叩きつけられたりすることはないわけで、鍛えれば鍛えるほど、健康体になっていく。たしかに筋トレにハマっていく気持ちもわかる気がする。
ところがある日、突然、松永光弘の姿がジムから消えた。そして、店に立つ彼の姿は誰の目から見ても激ヤセしていて、現役時代を知るプロレスファンから「大丈夫か?」と心配されるようになっていた。そのとき、松永光弘は耐えきれないほどの激痛と闘いながら、日々、厨房に立ち続けていたのだーー。(10月27日公開の後編に続く)

