深夜のラジオ番組のパーソナリティが、心の拠り所というラジオのリスナーは少なくないだろう。その一人、春日萌花が9月いっぱいで10年半続けてきたレギュラー番組を卒業した。じつは彼女、プロレスラーでもあり気象予報士の資格を持っている。さらにいうと、実姉に腎臓を提供した腎移植ドナーでもある。その春日の体調管理について聞くインタビュー第1回は、深夜ラジオを10年半続けてきたお話を。
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リスナーの方々にいろいろなアイデアをいただき形にしてきた10年半

『魔法が解けた』。この言葉は、春日萌花が10年半もの間担当していたFM NACK5『FANTASY RADIO』でリスナーが使っていた言葉だ。スタート当初は金曜夜の深夜に5時間の生放送で、終了タイミングでは土曜深夜の3時間45分の生放送だった。
「設定上はスタート時点で23歳、10年半やって4年に1回くらい年を取る形をとらせてもらって(笑)。そんなことを言っていたんですが、さすがに深夜で話し続けていると番組終盤には化粧も取れるだろうと。それで『朝方になると実年齢に戻る=魔法が解ける』という意味で使っていた言葉ですね。リスナーの方々にはいろいろなアイデアをいただいて、形にしてきた10年半でした」
週1回とはいえ、深夜の長時間番組は体に堪えるものだ。現に筆者自身もラジオディレクターとして毎週土曜日に8時間の生放送を数年経験しているので、そのしんどさは身に染みてわかっている。
「アナウンサーさんが待機しているわけではないので、たとえば気象情報や警報が発表されたときは原稿を読むこともあります。その対応も兼ねていたのですが、アナウンサー経験はないんです。プロレスラーとしては2005年にデビューしたんですが、1年半経ったときに団体が活動休止になって、しばらくすることもなく私も休業に入ってしまったので、その間に半年だけ放送関係の専門学校に行っていました。すでに喋る仕事はしていたので、基礎力の補完のような形ではあったんですが。プラスしてボイストレーニングをしていましたね」
プロレスの練習自体が体づくりの礎になっていた

プロレスに復帰してからもパーソナリティの仕事はあった。しかし、なかなか仕事が増えない時期もあった。
「プロレスに復帰したタイミングで、文化放送さんが私がアニメオタクということを知ってくださって、春と秋の改編時期にアニメ好きな人を呼んでひたすらアニメを見て感想を言い合う番組があったんですが、それ以外にはHBCラジオさんのプロレス番組『ラジプロ!』出演のみでした。喋りの仕事を増やしたくてもなかなか叶いませんでした。しかも女子プロレスの人気が若干落ちていたときだったので、人気のあるレスラーの方も副業をしていた方もいました」
そのような中、春日はどのように体づくりをしていたのだろうか。
「プロレスの練習がすべてでしたね、今思えば。当時のスケジュールがえぐすぎて…。2011年に東日本大震災が起こって、それをきっかけに本格的に気象予報士を目指そうと思い勉強を始めたんですが、プロレスとトークの練習に加えて資格取得のための勉強が入って、結構大変でした。あ、当時のスケジュールを思い出すと格闘技の練習もしていたので、起きてからずっと練習でその合間に勉強して…家に帰ると寝てしまうので、24時間やっているカフェやファミレスで朝まで勉強していましたね。それを3年半続けていました」
なぜそこまでがんばることができたのか。
「若くて体力があったからですね(笑)。今は無理です。(プライベートの時間は)なかったです。なので、自分でルールを決めていました。まずネイルを塗らない。つねに指先がボロボロなので、その指先を見て自分のやるべきことを思い出すんです。そしてもうひとつは、美意識が高い女性といえば、お風呂上がりにいい香りのボディクリームを塗るみたいなイメージがあったんですがそれもしない。カサカサでボロボロ…人前に出る仕事をしている身としてはどうだろうと思うんですが(笑)、あえて意識してそういう風にしていました。ネイルを塗れるのは、合格してからのお楽しみで。おしゃれをする時間もないので、おしゃれが必要な時間もないような生活をしていましたね。資格だけではなく、ラジオのレギュラー番組をもうひとつ持ちたいという目標もありましたし、プライベートでかまけている時間はなかったですね」
