女性や中高年もジムに導いた筋肉界の巨人 石井直方教授は世界のトレーニングの常識を変えた




「筋肉博士」と呼ばれ、さまざまなメディアで活躍してきた石井直方・東京大学名誉教授。2024年に69歳で逝去するまで、筋肉の最新情報とその重要性を伝え続けた。このたび発売された書籍『石井直方最終講義 筋肉まるわかり大事典』の監修を務めた石井研究室出身の谷本道哉教授に、石井教授の功績について話を聞く。

ボディビル現役時代の写真パネルと並んだ石井教授

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――石井直方教授がご逝去されてから1年と少し経過しました。今なお新たな書籍が発売されるなど、あらためて筋肉界の巨人であったことを実感します。

「そうですね。石井先生は日本だけでなく、世界でも筋肉研究をリードする存在だったと思います。多くの研究室は、細胞や遺伝子などミクロな現象の研究、もしくは人体を使ったトレーニング効果の生理学・力学特性といったマクロな分野での研究のどちらかに限定して行なうものです。でも石井研究室(以下、石井研)は、その両方をやっていました。僕も今でこそ人を用いたトレーニング研究を行ない、その成果を世に広める活動をしていますが、大学院生の最初の頃は毎日ネズミの筋線維と向き合っていました。石井先生は、ベースの専門領域は分子生物学で、貝の筋線維から筋肉の研究をはじめられましたが、お亡くなりになる直前までミクロとマクロの両方を追究されていました」

――それが「筋肉博士」としての説得力につながっていたんでしょうね。

「一般のトレーニング内容に直結するマクロ面の研究では、トレーニング界における世界的な潮流の1つをつくったと言えます。それは加圧トレーニング、スロートレーニング(以下、スロトレ)の研究によって、低負荷でも筋肉が肥大すると証明したことです。以前は1RM(1回だけ上げられる負荷)の65%程度以上の重さがなければ筋肉は肥大しないというのが常識でした。これは、主にはアメリカのウィリアム・クレーマー博士らが提唱した指標で、1980年代からトレーニング界に浸透し、今も筋トレの基本理論として定着しています」

――その常識が、加圧やスロトレで変わってきたわけですね。

「加圧の研究がはじまったのが2000年前後。その後、僕が携わったスロトレが論文として発表されたのは2006年。それぞれ国内外の研究者に広く注目され、世界的に類似の研究が広まっていくこととなりました。その流れの影響もあり、2012年にカナダのミッチェルらが、通常のトレーニング動作でも筋肉を完全にオールアウト(疲労困憊)させれば、1RMの30%まで負荷を下げても筋肉は肥大することを示しました。その後、それに追従する研究が次々に報告され、“重さ至上主義”が崩壊したと言えます」

――結果として、筋トレ人口を増やすきっかけになったとも言えますね。

「じつは当時石井研にいた小笠原理紀君(故人)がミッチェルらと同じテーマで研究を行なっていました。発表はタッチの差で先を越されてしまいましたが、あと一歩早く発表できていれば低負荷トレーニングの流れを石井研がコンプリートしていたかもしれません」

――ベストセラーとなった石井先生と谷本先生の共著書『スロトレ』ではダイエット効果も強調されていた印象があります。

「成長ホルモンが出て、きれいにもなりますよ、というニュアンスですね。通常の筋トレでも成長ホルモンはよく出ますが、重いバーベルを使わなくても出るというのは女性や中高年の人にとって入りやすかったと思います。今だから言ってしまいますが、『スロトレ』という名称をつけたのは広告会社の電通なんですよ」

――正式名称は「筋発揮張力維持スロー法」でしたよね。

「共著者の僕としては、正直スロトレという名前には否定的でした。筋トレとしては本格的なのに、なんかシャレていて緩そうだからやめてほしいと。でも石井先生は『いや、いいんじゃない』とすんなり受け入れられて。結果、めちゃくちゃ売れましたから正解だったんでしょう(笑)。ダイエット効果を謳ったマーケティングも含め、戦略としては成功だったんだと思います」

筋トレ上級者でも自重でオールアウトできる

右端が谷本教授。後方に写っているのは当時の谷本教授の愛車GMC。自分たちがトレーニング科学界の「特攻野郎Aチームになってやろう」という意図を込めていたという。バズーカ岡田こと岡田隆教授(石井教授の左側)など、石井研究室は多くの才能を世に送り出した

――その頃から筋トレ関連の書籍も一気に増えたと思います。

「石井先生のもとには、『スロトレを商標登録したほうがいいのでは?』という意見がたくさんあったらしいです。でも先生は商標なんか取ったら世の中に広まらなくなるからと、それをしませんでした。それが大きかったと思います。いろいろな人がスロトレという言葉を使って、どんどん広がっていきましたから。実際は僕らが研究したスロトレとは違う方法で紹介されているものもあったのですが、自分たちの成果だからと独占しようとしなかった先生の懐の深さが、社会のためにプラスに働いたと思います」

――そうした影響もあって、近年では筋トレ界への女性の進出が目立っています。

「それは世の中の大きな変化ですよね。女性の筋トレ人口が増えれば、自然に男性も増えますしね。筋トレをして自分の体が変われば、のめり込んでいくと思います」

――一般の女性や中高年の意識を変えたからこそ、石井先生は「筋肉博士」という愛称で親しまれたのかもしれませんね。

「それもあるでしょう。僕が監修・出演したNHKの『みんなで筋肉体操』も、その流れの中できた依頼だったと思います。やはり石井先生との共著で、スロトレを活用した『体脂肪を燃やす最強トレーニング』という自重トレーニングの本を出したのですが、その本の内容を元に番組の筋トレメニューをつくってほしいと言われまして」

――「筋肉は裏切らない」「あと5秒しかできません」といった谷本先生の名フレーズとともに、筋トレ上級者が自重トレで追い込まれる姿はインパクトがありました。

「もともとは僕はバーベル派だったんです。自重トレは初級レベルの人がやればいいと思っていたのですが、番組用にメニューをつくってみたら上級者でも短時間でオールアウトできるような自重トレができた。バーベルがなくても上手くやれば筋肉を本格的に追い込めるということが世の中に伝わったのではないかと思います」

――石井研で行なわれた低負荷研究の一つの集大成だったかもしれませんね。

「そうですね。筋肉体操はじつは最初は石井先生にオファーがあったんですよ。それを、『本の中身は主には谷本君が書いたものだから』とこちらに話を回してくださったんです。先生があの番組をやっていたら、また違った内容、違った印象になっただろうなと思います。見てみたかったですよね」

『石井直方 最終講義 筋肉まるわかり大事典』は1264ページの大ボリューム。筋肉やトレーニングのあらゆる情報や知識を網羅した1冊だ