何も知らず、20代で飛び込んだ筋肉の世界――。“筋肉博士”と呼ばれた石井直方・東京大学名誉教授(2024年に逝去)の最終講義と銘打たれた書籍『筋肉まるわかり大事典』(ベースボール・マガジン社)が発売された。545のQ&Aで構成された同書だが、その1問1問に添えられたイラストを描いてきたのがニューロック木綿子さんだ。駆け出しの時代に舞い込んだ大仕事。彼女はどのように向き合ったのか。

――ニューロックさんは筋肉業界ではかなり有名ですよね。
「いえ、そんな……ただ長く描かせていただいたというだけで」
――いつ頃から筋肉やトレーニーのイラストを?
「2000年代前半だと思います。当時25歳くらいでした」
――20年以上ですね!
「年齢非公開なんですけど、これで大体バレてしまいますね(笑)。子どもが成人する期間ですから、自分でも本当によくやってきたなと思います」
――もともとイラストレーター志望だったんですか?
「まったくそうではなくて、高校・大学では英語を勉強していました。大学卒業後、最初に就職したのが出版社で、料理や生活情報誌の編集をしていました。 ただ、残業が多くて体を壊したりしたのと、思い描いていた誌面づくりとの間に少しギャップも感じたこともあって、自分で直接表現するほうが向いているかもしれないと思うようになっていったんです。表現するならイラストが合っているかなという思いから、少しずつイラストに軸足を移していきました。出版社を退職してラジオ局の契約社員になったんですけど、朝9時から夕方5時までフルタイムで仕事、家に帰ってイラストを描くという生活でした。時には徹夜で描いて、そのまま会社に行くということもありました」
――むしろ出版社時代より大変じゃないですか!
「そうですね(笑)。でも好きなことなので楽しかったですし、寝不足とか貧乏は大変でしたけど、若さだけで乗り切れました」
――すぐにイラストのお仕事の依頼がきたということですか?
「たまたまある雑誌で連載を持っているライターさんと知り合う機会があって、その方が私の“落書き”を見て使ってみようかと言ってくださったんです。 それがイラストレーターとしての最初のお仕事で、芸能人の似顔絵を主に描いていました。その方の紹介で、のちに『トレマガ』(トレーニングマガジン)を制作される編集者の方と知り合い、筋肉イラストがスタートしたという流れですね。みなさん、よく駆け出しの私を使ってくれたなと思います(笑)」
――イラストの勉強はしていたんですか?
「ぜんぶ独学です。もともと絵を描くのは好きで、ちょこちょこ落書きを描いてまわりの人に褒めてもらったりはしていました。でも仕事となると落書きというわけにはいかないので、仕事として認められるタッチをつくらなきゃいけないと思って、いろいろな描き方を試しながら少しずつ自分のスタイルをつくっていきました。と言っても、イラストだけで食べていけるわけではなかったので、ラジオ局の後も出版社など昼の仕事を転々としました。イラストの仕事が忙しくなったら仕事をやめてフリーになり、落ち着いてきたら『働かなきゃ』と思ってどこかの会社に入り……と、風来坊というか野良猫のようにウロウロしていましたね(笑)」
ジムで筋肉を鍛えながら
絵のためにトレーニーを観察

――「ニューロック」というペンネームの由来は?
「ニューロックと呼ばれていた60〜70年代の音楽のムーブメントが大好きで。日本だとフラワー・トラベリン・バンドとか、エムというアンダーグラウンドのバンドとかですね。海外だとジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、サンタナあたりです。ニューロックという言葉に明確な定義はないと思うんですけど、“それまでと違う新しいロック”という意味合いととらえていました。最初の頃はぐにゃぐにゃしたサイケデリックな絵もよく描いていて、本当はそっち方面でやっていきたかったんですけど、商業的にはなかなか需要がなくて(笑)。ただ、本名から“ニューロック木綿子”にしたら、不思議と仕事がスムーズにまわり始めた感覚はあります。そろそろ年齢的に“ニューロック”という名前もキツいかなという気もしていて、また改名の時期かなと思うこともありますけど(笑)」
――筋肉やトレーニングには興味があったんですか?
「まったくありませんでした。最初は筋肉の形すらよくわからないレベルで、日々勉強しながら描いている感じでした。しばらくしてインターネットが普及してきたので画像を参考にして描きやすくはなったんですけど、心のどこかで『筋肉わかってないヤツが描いてるってバレてるんだろうな』とはずっと思っていました」
――いやいや、筋肉マニアも納得していると思いますよ。
「もともとインドア派で、スポーツとは縁が薄いタイプなので、“筋肉の世界に迷い込んだ女”という感覚は今でも少しあります。そのうち自分でもトレーニングに興味を持ってジムに入会したんですけど、それはトレーニング機材の形とかトレーニングしている人を現場で研究するという目的もありました。どんな年代の人が来ているのか。どんな表情でトレーニングしているのか。どんな格好をしているのか。自分でもトレマガを参考にして趣味程度にトレーニングをしながら、イラストレーターの視点で人間観察していましたね」

――いつの間にかニューロックさんのイラストが筋肉界に知れ渡り、それが何冊もの書籍となって本屋に並ぶことにもなりました。
「石井直方先生のおかげですね。たまたま担当させていただいたトレマガの『筋肉まるわかり大事典』という連載が大人気になって、書籍化の際には私のイラストを表紙にも使っていただきました。その書籍が好評だったので、その後、『ストレッチまるわかり大事典』『筋トレまるわかり大事典』『サプリメントまるわかり大事典』など次々にシリーズが発売されていきました。それぞれ名のある先生方の著作なので、そこに便乗して私の名前も勝手に歩き出していった感じですね(笑)」
――ニューロックさんのイラストも存在感がありましたよ。1枚1枚のイラストで、それぞれちょっとしたストーリーが展開されていて、親近感が沸きます。難しい内容の文章があっても、イラストのおかげで読みやすくなっていると感じました。
「ありがとうございます。本文の文字量が多いので、イラストは緻密に描き込みすぎないことを意識していました。あえて荒く、ガサッとした線で、頭をあまり使わずにサッと見てわかるくらいの情報量にしました」

――学術的な内容やトレーニングの専門知識を読み込んでイラスト化するのは難しかったのではないですか?
「そうですね。でも石井先生は難しいことをやさしく説明してくださる方でしたし、カラダのことを学べるので楽しかったです。編集者の方も毎回イラストのアイデアを出してくださっていたので、基本的にはそれに沿ってイメージを沸かせていました。時々あえてそれに抗うような、まったく違うイラストにしてしまうこともあったんですけど」
――それがニューロック魂ですね。
「はい。どこかで自分の色を出したいという意識はあったと思います。筋肉のことをあまり知らないという不安もありましたけど、一方でマッチョな男性読者に見られても負けないイラストを描いてやろうという気持ちもありましたね。好きなバンドの音楽を聴きながら、気持ちを高めて描いていました」
――2024年に石井先生が逝去されるまで、連載は20年以上続きました。
「今年は石井先生の追悼本にも関わらせていただき、ありがたいかぎりです。運が良かったのかもしれませんし、いろいろな人のおかげでここまでやって来られたと思います。他の仕事は何年も続かなかったのに、なぜか筋肉やトレーニングのイラストだけは人生の半分も費やして描いてきたというのは、あらためて振り返っても不思議な運命だなと思いますね」(後編につづく)

