いつの頃からか、空手とはおおよそ縁がなさそうな女性の瓦割りのショート動画がバズり始めた。1秒足らずで15枚近くの瓦を割ってしまう彼女の名は、“日本一強いアナウンサー”堀江聖夏(ほりえ・みな)。フリーアナウンサー、教育者という顔を持ち、空手の師範の資格も持つ多才な彼女に迫るインタビュー、全3回の第1回は空手を始めたきっかけのお話を。

足がムキムキの幼少時代……バレエではなく空手を選択
堀江聖夏は学生の頃から芸能活動をスタートしているが、同時に空手も習い始めている。地元で出会った空手、それは沖縄にルーツを持つ剛柔流だった。
「小学1年生のときに剛柔流空手を習い始めて、高校3年生までずっとやっていました。黒帯を取ったのは中学3年生のときなんですが、周りは男の子ばかりだったので(取得できたのは)遅いほうでしたね。なぜ剛柔流だったのかは、たまたま小学校でできる習い事の空手がその流派だったんです(笑)」
そもそも空手を習い始めたのは、どのようなきっかけだったのだろうか。
「空手教室は父が見つけてくれて、自分の身は自分で守れたほうがいいからと。あとは、幼少のころから筋肉質だったことあって、バレリーナの格好をすると足がムキムキになってしまい、強さを追求するスポーツのほうがいいのではということで空手になりました」
黒帯、そして師範の資格まで取った堀江だが、空手の世界で生きていくことは考えなかったという。
「芸能活動も同時にやっていましたし、高校3年生のときにはセント・フォースに入っていたので。大学に入ってからは、アナウンサーやバラエティのお仕事をさせていただいたので、空手の道に進むことは考えていませんでしたね。芸能活動自体は小学校からの夢で、ちょっとした再現VTRのお仕事はしていたんですよ。小学6年生のときにハロープロジェクトのオーディションを受けて落ちて(笑)、AKB48のオーディションを受けてBチームに入ったんですが、学校生活との両立が難しくなってしまって2か月でやめてしまいました」
後悔はしたくないから自分の言葉で伝えようと思ったのがアナウンサーにつながっている

しかし、その一度ドロップした経験が今の堀江の礎になっていた。
「先日、高校生に向けた授業をやらせてもらったときに気づいたことがあるんですが、AKBをやめたときに『本当はやめたくなかった』ということを、周りの人たちに言えなかったんですよね。周りの大人たちの意見でやめることになって、ずるずる終わってしまった感じがして。でもその年にAKBが紅白に出たり、友だちがセンターで活躍したりしている姿を見ると、後悔ばかりが残っちゃったんですよね。その後悔が心の奥底にあって、それからは後悔したくないから環境のせいや周りのせいにするのはやめて、ちゃんと自分の意思を伝えようと思って、アナウンサーという言葉を伝える仕事につながってきたんだなと思いました」
セント・フォースにはフリーアナウンサーが多数所属しているが、堀江は3年制の短期大学に通いながらアナウンス学校にも通い、技術を習得した。
「アナウンス学校には大学の3年間ずっと通っていました。当時のお仕事は、めちゃくちゃ忙しいというわけではなかったので、自分としては普通の大学生活だったと思っていますが(笑)。あっという間に過ぎた3年間でした」(1月29日、朝7時公開の第2回に続く)
