インフルエンサーとして活躍する長野じゅりあは、現役の看護師でもある。また空手の形では日本大会で優勝したこともあり、プロレスラーとして活躍していた時期もある。さらにはグラビアを飾ることも…そんな長野へのインタビュー全3回の第1回は、空手を始めたときのお話を。

熱くなりやすい性格なので、組手はルール的に自分に向いていなかった
長野じゅりあは5歳のときから空手を始めた。最初はいわゆる対戦形式の空手と形の両方をしていた。そして2006年に開催された「第5回糸東流空手世界選手権大会 形の部 9歳~10歳 女子3級以上」において優勝した。
「親が格闘技やK-1が好きだったので、自分の身を護ってほしいということで無理やりやらされたのが最初です。5歳からやっていると、だんだんそれが普通になってしまうんですよね。小学校低学年のときは同級生を誘って同じ道場で練習するんですけど、みんなは1か月で辞めてしまって(苦笑)。組手はルール的に自分に向いていなかったというか……(審判に)止められた後に殴り掛かっちゃうとかするくらい熱くなってしまうので。それで、形に専念しようと思いました」
長野は、空手を始めてからコンプレックスがあったという。
「背は標準でやせていましたね。『そんな強い子なの?』みたいな感じで。でも、空手をやったおかげで太ももが太くなって、結構コンプレックスではありましたね。重心を低くして筋トレもするので、上半身はそんなに太らないんですけど、下半身はやっぱりパンパンでしたね。しかも私、圧力17ぐらいしかないんです(笑)。むしろめちゃくちゃ弱いんですよね」
その空手以外、長野の習い事は継続しなかった。
「水泳、ダンス、柔道、ボクシング、ピアノ……全部お試しだけで終わりです。空手だけが唯一続いていて、看護の専門学校に行っているときも続けていました」
芸能の仕事もしたいという思いを抱えながら看護学校へ

中学2年生のときに、空手の試合結果が掲載されているホームページを見ていると、映画『サルベージ・マイス』のオーディションの広告を発見した。興味本位で応募した長野は、600人を超えるオーディション参加者の中から栄冠を勝ち取り、映画に初出演することになる。
「オーディションでは空手ができる女子高生の役を募集していたので、『映画の中で空手を披露できるんだったらいいなあ』という軽い気持ちで受けたんですが、映画というものが、どれだけ時間をかけて作られているのか……本当に大変な世界だなと現実を知りましたね。キラキラしているように見えていましたけど、台本1ページ分撮影するのに1日かかったり、セリフもすごい量を覚えたり……厳しい世界だなと。でも、自分の出ている映画が公開されたらうれしくて何回も見直しました」
その長野が芸能の世界に本格的に飛び込みたいと思ったのはいつだったのだろうか。
「映画の撮影時は、(高校)受験もありましたし空手の大会もあったので、2年くらいで辞めてしまったんですよ。でも心の中では本気で(芸能活動を)やりたいなという気持ちを持ったまま看護学校に入りました。そして看護師として3年働いた23歳のときに、TikTokでフォロワーが30万人もできて、もう1回芸能界にチャレンジしてみたいなと思ったんです」(2月10日、朝7時10分公開の#2に続く)
