“100年に一人の逸材”棚橋弘至との京都統一ヘビー級選手権【ミドルエイジの挑戦/レイザーラモンHG #2】




40~50代は、残りの人生の指針が決まる大事な時期でもある。自分らしく生きたいと思いながらも、一歩を踏み出す勇気を持てず、悶々と将来への不安を抱えている人も多いだろう。そんなミドルエイジたちの指標となる“輝く40~50代”を紹介する当連載。今回は、ハードゲイキャラとしてお笑い界を席巻したレイザーラモンHGさんのライフスタイルに迫る。

ウエイトを初めてやったのは、学生プロレスを始めてから

【フォト】トレーニング風景、バッチコーイ!!

――本格的に体を鍛え始めたのは、同志社大学入学後に学生プロレスをやり始めてからですか。

「そうですね。いわゆるウエイトトレーニングを初めてやったのは、学生プロレスを始めてからです。高校まではサッカーをやっていたんですけど、腕立て伏せとか懸垂とか、自重トレーニングばかりでしたね。高校生の頃はトレーニングの情報もなかったので、ハリウッドスターのドルフ・ラングレンさんのトレーニングビデオを借りて見て、情報を得るみたいなことをやっていましたね。あとはブルースリーの本を買ってみたり。その頃はガリガリでした。この身長(185cm)で70kgないくらいだったので」

――サッカーのポジションは?

「サッカーを始めた小5の時は左ウイングという花形のポジションだったんですけど、そこから急激に身長が伸びて中2で今の身長になったんです。それでディフェンダーのセンターバックに変わって、飛んできたボールをヘディングして防いだり、自チームのコーナーキックになったら上がっていってヘディングでシュートするという感じで。僕、生涯の得点はほぼヘディングです(笑)」

――プロレスはもともと好きだったんですか。

「中1の時に全日本プロレスをテレビで見てハマりました。三沢光晴選手が好きでしたね。怪物のジャンボ鶴田選手を超えるかという、一番燃える時でした。明るく楽しく激しいというのが全日本のキャッチコピーだったんですけど、お笑いの要素もあって。ジャストミート福澤さん(福澤朗アナウンサー)の実況、めっちゃおもしろいなと。お笑いも好きだったので」

――それで大学から学生プロレスを始めたんですね。

「高校までダラダラとサッカーをやっていたので、大学では個人競技をやりたいなと思っていたんです。同志社大学のパンフレットを見ていたら学生プロレス同好会があって、『こんなのあんねや。入ろう』と決めて。でも、新歓で出店を回っても見つからなかったんです。ホンマは端のほうにあったらしいんですけどね。格闘技もやりたかったので、最初は日本拳法部に入ったんです。総合格闘技の走りというか、投げと打撃と極めがあって。それから半年くらい経った時、大きな広場にリングの設営が始まって、明日プロレスの興行をやりますと。ホンマにあったんやと思って見に行ったらめちゃめちゃおもしろくて、そのまま日本拳法部をやめて前期の終わりにプロレス同好会に入りました」

◆棚橋弘至とのタイトルマッチ