“100年に一人の逸材”棚橋弘至との京都統一ヘビー級選手権【ミドルエイジの挑戦/レイザーラモンHG #2】




「レイザーラモンというコンビも軸はプロレス」

――HGさんも棚橋選手のように、プロレスラーになりたいとは思わなかったんですか。

「思いました。それこそ全日本プロレスのテストを受けようかなと何となく思っていた時、1個下に棚橋が入ってきたんです。棚橋は1回生の時から『僕はプロレスラーになります』とずっと言っていて、2回生か3回生の時にプロテストを受けに行ったんです。でもあっさり落ちて帰ってきて。棚橋は当時から体もできていましたし、レスリングもできていたので『あ、棚橋でも落ちんねや』と思って、そこで心が折れちゃったというか。結局、棚橋はその後の試験で受かって入門するという経緯があるんですけど、やっぱりプロの世界は厳しいんやなと思って」

――そういった経緯がありつつ、芸人として大ブレイクをはたした2005年にハッスルでプロレスデビューをはたすことになるんですね。

「回り回って夢がかないましたね。めちゃめちゃうれしくて、合同練習に参加したりしていましたから。それでハマりすぎて、しばらくしてからケガをしちゃうんですよね(左足かかと粉砕骨折)。やっぱりプロレスの世界は厳しいなと。でも首とかじゃなくてよかったなと思います」

――お話を聞けば聞くほど、プロレスはHGさんの人生に密接に関わっているということがわかります。

「そうですね。結局、レイザーラモンというコンビも軸はプロレスですから。学生プロレスで出会ってコンビを組んで、吉本に入るきっかけになった『今宮子供えびすマンザイ新人コンクール』というオーディションでも、ただプロレスをして叫ぶというネタで優勝しましたから(笑)。HGがブレイクした時にパクリキャラのRGが登場しましたけど、それもタイガーマスクに対してのブラックタイガーみたいなものですからね。それもプロレスのエッセンスじゃないですか。プロレスとお笑いってリンクしていると思いますし、エンタメの要素がプロレスには詰まっているので、確実にお笑いに活きています。根底にはずっとプロレスがありますね」(後編に続く)

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