「できない」と言われたらやってみたくなる負けず嫌いです
――七種競技をやるようになってからは、それがメインになるわけですか?
津吹:そうです。でも中学時代からやっていた走高跳もメインでやっていたので、走高跳と混成という二軸がありつつ、プラスアルファでやり投もできたので、その三本で県大会は戦っていたという感じですね。
――やり投はドッヂボールの経験は生きているんですか?
津吹:たぶん生きていると思います。小さい頃からドッヂボールをやっていたおかげなのか、地肩が強かったんです。
――七種競技だけでも大変なのに、それプラス、やり投や走高跳もやっていたら相当大変だったんじゃないですか?
津吹:県大会から3種目出なければいけなかったので、結構大変でしたね。しかも走高跳とやり投を兼ねている選手ってほとんどいなくて、この2種目は同じ時間に始まるんですよ。
――同じ時間に始まったらどうするんですか?
津吹:トラックの半分でやり投、半分で走高跳をやっているので、走高跳を跳んだら反対側に走っていってやりを投げて、投げ終わったらまた戻って跳んでという感じでした。両方に友達にいてもらって、「そろそろ出番だからこっちに来て」って呼んでもらっていました。
――切り替えや集中力を高めるのが大変そうですね。
津吹:高校2年の時はそれにチャレンジして失敗してしまったので、すごく悔しくて3年でもチャレンジしようと思いました。3年の時は走高跳で1位、混成が2位、やり投で4位に入れたので、成功だったかなと思います。
――ダメなままで終われないというか、結構負けず嫌いなんですね。
津吹:そうですね。「できない」とか言われるとやりたくなっちゃうタイプです。「そんなことやった人はいないよ」って言われると、じゃあ頑張ってやってみようかなっていうタイプですね。
――陸上競技の場合は一番の軸は走りで、走りと投てき、走りと跳躍という組み合わせはわかるのですが、投てきと跳躍の組み合わせは難しそうですね。
津吹:私は混成選手だから比較的すんなりできたとは思うんですけど、実は走高跳とやり投げって結構似ているところがあるんです。
――どういうこところが?
津吹:助走のリズムが似ているんですよ。これは両方をやってみたからこそ、気づいたことですね。そういう意味でもチャレンジしてよかったなって思います。
――それぞれの種目の練習が別種目にも生きてくることもありますか?
津吹:あります、あります。そればっかりですね。走りが一番伸びないと全部の種目が悪くなってしまうので、ベースは走りのトレーニングになります。そこにプラスアルファという形なんですが、似ている競技が何個かあるんですよ。たとえばハードルと走幅跳が似ているとか、走高跳とやり投げが似ているとか。そういう部分もあるので、同じ感覚を探す、似ているものを探しながら、これはこうしたほうが良いんだろうかとか考えつつやっているっていう感じですかね。
――投てきや跳躍にも指導者がそれぞれいるものなのでしょうか?
津吹:私はたまたま運が良かったんです。弥栄高校は、顧問の先生と投てきの先生がいらっしゃったので、投てきは結構しっかり教えてもらえました。投てきって結構、力強い子が勝つっていうイメージがあると思うんですけど、意外とコツをつかめば遠くに飛ばせるものなんです。それは結構教え込まれたので記録も伸びました。逆にスプリントのほうはいわゆる“根性練”が多かったので、あまり伸びなかったんです。走りの面が伸びたのは、大学に入って自分で考えるようになってからですね。
――いろいろな種目に取り組んでいますが、一番の得意種目は?
津吹:今は、走高跳ですね。
――「今は」ということは、以前は違ったのですか?
津吹:やり投が得意だったんですけど、大学1年生の時に、やり投の練習中に前十字靭帯を切ってしまったんです。ケガの影響で1年くらい競技ができなくて、苦手意識が出てきてしまいました。練習をしていても、また靭帯を切ってしまうんじゃないかという恐怖心があって、あまりちゃんと投げられてなかったんです。ただ、最近はリハビリもしっかりできて復活してきたので、やっと投げられるかなというところまできています。
取材&撮影/佐久間一彦
1994年9月14日生まれ(おとめ座)。神奈川県出身。東京学芸大学所属。中学時代から陸上競技をはじめ、弥栄高校時代には七種競技、走高跳でインターハイに出場。走高跳では全日本ジュニアで4位。『超人女子』では陸上七種競技の選手としてのポテンシャルを発揮して、数々の種目で優勝を飾っている。
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