【スポーツとケガ】元”天才”サッカー選手 財前宣之に聞く③




今でもベガルタ仙台のファンたちの間では特別な存在として語り継がれる財前宣之元選手。彼はケガに負けず、35歳で現役を引退するまで第一線でサッカーをプレーし続けた。1回だけでも復帰が困難だといわれる靱帯断裂という大怪我に3回にわたって苦しみながら、ついにはそれを克服し、17年に渡るキャリアを全うした彼は、一体どのようにして大怪我を克服したのだろうか? 詳しい経緯を聞いてみた。

イメージではトップレベルのプレーを思い描いているのに、体が追い付かなくなってきたっていうのが、今振り返っての分析ですね

――ケガをした直後というのは、体はどういう状態にあったのでしょうか?

財前 最初の3ヵ月間というのは、本当にジョギングすらできなかったですね。まず膝が曲がらなかったです。

――具体的にはどういったリハビリから始めるんですか?

財前 タオルギャザーといって、5本指でタオルをたぐり寄せるトレーニングから始まります。復帰のためには大事なプロセスですが、地味なトレーニングで。同じことを2ヵ月や3ヵ月、繰り返しながら徐々にステップアップしていきます。

――それは少しずつ可動域を広げていくということですか?

財前 そうですね。前十字靭帯というのは腿と脛を繋げる紐みたいなもので、靱帯断裂というのはそれが切れてしまうんですね。ですから手術によって、チタン製のボルトで人工的につなぎとめます。その状態から可動域を少しずつ広くしていくのですが、最初のうちは、膝を動かすのではなく、体重を少しずつかけていく練習とか、そういったところからトレーニングをしていきます。

スポーツをするうえで、ケガは避けては通れないものだ。

とりわけ大ケガの代名詞ともいえる前十字靭帯断裂。早すぎる復帰によって、選手生命を絶たれてしまうアスリートも多い中、復帰までどれくらい難しいケガなのだろうか?

――通常、復帰までにどのくらいの時間が必要なケガなのでしょうか?

財前 相当一流なトレーナーがマンツーマンでついてリハビリをおこなっても、それでも半年での復帰はリスキーといわれています。一般的には約1年は復帰までに必要だといわれていますが、アスリートは1年も待てないですから、大体8ヵ月くらいでどのスポーツでも復帰する選手が多いです。

――ご自身も1回目のケガのときは半年で復帰をされていますが、それは早かったと?

財前 早すぎたと思います。こういった大ケガの場合、一度ケガをしてしまうと、長期間プレーから遠ざかってしまいます。だから筋力が元に戻らないまま復帰して、また同じところをやってしまったという。

――それは焦りなどもあるんですか?

財前 はい、選手は基本的にプレーをしたいですから、復帰を急ごうとします。

――焦って復帰を急いでしまい、結果的に適切な再建を妨げるわけですか?

財前 そうですね。ハムストリングにメスを入れた時点で、筋量は相当落ちます。膝を支える腿の筋量が落ちるわけですから、そこに負荷がかかると、当然ケガをしやすくなってしまいます。特に自分の場合はイタリアで1年間プレーしていたので、脳はトップレベルのままだったんですね。イメージではトップレベルのプレーを思い描いているのに、体が追い付かなくなってきたっていうのが、今振り返っての分析ですね。

早すぎた復帰ゆえに、2度目の靱帯断裂に見舞われてしまった財前。膝を庇っているうちについには3度目の断裂にも見舞われてしまう。

一度は折れかけた心だったが、それでもサッカーを諦めきれなかった彼は「遅すぎるかもしれないけど、諦めることができない以上は、一から体を作り直して復帰をしよう」と決意する。

――3回目のときは、これまでとは違うメニューなどもされたんですか?

財前 基本的には、メニューが大きく変わったということはないです。復帰に必要なトレーニングというのは、そんなに変わらないですから。ただお金をかけてトレーナーをつけたりとか、できることはやっていきました。あとは、亡くなった松田(直樹・元横浜F・マリノス他)や俊輔(中村・現ジュビロ磐田)や川口能活(現SC相模原)君とかと沖縄合宿に行ったりして、今思えばよくやれたなってくらい肉体的に追い込みました。そういう「やべえぞ、本当に必死こいてやんないとやべえぞ」っていう気持ちは、2回目までのときまでの自分にはなかったものかもしれないです。

――それだけ、強い意志をもって継続的にリハビリに臨むうえで一番のモチベーションはなんでしたか?

財前 もちろん365日そういう想いでやれていたかというと、必ずしもそうではないかもしれません。ただ、痛みに耐えたる忍耐力とか、リハビリを続ける我慢強さというのは、小さい時から片道2時間半かけて練習に通っていたくらいなので、もともと兼ね備えていた部分だと思います。それに応援してくれているファンや、クビにしないで待ってくれたクラブの存在は常に頭の中にありましたし、やっぱりサッカー小僧だったので、サッカーやりたいという、その思いしかなかったですね。

強い思いでのぞんだリハビリ。その過程には周囲の人間の手助けも多くあったという。なかでもドクターとトレーナーに恵まれたという財前は、彼らとどのようなやりとりを交わしながら、トレーニングに励んでいったのだろうか。

財前宣之(ざいぜん・のぶゆき)
1976年、北海道出身。元プロサッカー選手。U17ワールドカップではベストイレブンに選出されるなど、若くしてその才能を開花させる。現役時代はベガルタ仙台、モンテディオ山形などで活躍。その後タイに渡り、1年間活躍したのち、現役を退く。引退後はベガルタ仙台の育成部で子供たちを指導。2016年4月には、自らが主宰する『財前フットボールスクール』を開設する。
財前宣之フットボールスクールHP

取材・文/須崎竜太 写真/山中順子