2度の日本一、世界4位、40歳以上が集うマスターズ選手権で通算14回の優勝を誇る鉄人ボディビルダー・金澤利翼(かなざわ・としすけ)は御年87歳。90代に迫る高齢でありながら、日々成長するべく肉体を磨き続けている。
【フォトギャラリー】金澤が14回目の優勝を達成した日本マスターズ選手権
金澤の競技者としてのベースが形成されたのは20代の頃。独学でトレーニングのイロハを学びつつ、夢だった日本の頂点に到達した。ひたむきに走り続けた時代を金澤はこう回想する。
「若い頃はがむしゃらにがんばって日本一になりました。その次は世界一になりたいとか、そういう願望のもとに鍛え続けたんです」
一度は34歳で競技を離れ、自身が創立した「広島トレーニングセンター」(広島県初のトレーニングジム)の会長や広島県ボディビル・フィットネス連盟の理事長を務めるなど業界への貢献を続けた。競技に戻ったのは50歳の頃。長らくステージを離れていたある日、鏡に映った自分の体を見て愕然としたことがきっかけだった。衰えた筋肉を取り戻すまでは時間を要したが、7年の月日をかけてカムバック。マスターズ選手権で見事優勝に輝いた。
「マスターズでは、これまで14回日本一になりました。88歳になる今年は、日本選手権の優勝2回と合わせて、17回目の日本一に挑戦しようと思っています」
力強く語る金澤だが、歳を重ねてから肉体をつくり直すのは容易ではなかった。トレーニングからの回復のペース、胃腸の消化機能など、すべてが若い体とは違うからだ。だが、試行錯誤の末に編み出した方法で、金澤は今なお第一線で戦える体をつくっている。
「まず、トレーニングは以前のようにがむしゃらにはやりません。基本的なルーティンは週1回で、無理な高重量を扱うのもナシ。その代わり徹底的に筋肉に効かせて、いじめますよ。これは私が長年かけて編み出した秘法なんです。食事は玄米、納豆、お味噌汁を1日3食。基本的にはこれしか食べません。タンパク質を摂るにも肉や魚、ヨーグルトなどは食べませんし、お酒やジュースなど、体に悪そうなものも入れません。胃腸を整えることを最優先しています」
食事に関しては幼少期、戦時中の記憶が原点になっている。当時の食事は野菜や穀物が中心であり、肉などを食べている人はほとんどいなかった。「そういう食生活をしていたおじいさんたちで、病気になった人を聞いたことがないんです。お亡くなりになる時も老衰で逝くんです。健康長寿の秘訣は質素な食事にあるのではないかと考え、私もずっと実践しています。その結果、今でも日本一になれていますよ」と胸を張る。
主戦場とするJBBF(日本ボディビル・フィットネス連盟)の選手の中で、トップクラスの年長者である金澤。だが、今なお己の肉体と正面から向き合い、よりレベルアップするための試行錯誤を続けている。
「たとえば私の弱点である肩の筋肉は去年より良くなっていますよ。この年になっても、年々体が良くなっている自信があります。コンテストでラインナップされた時点で、審査員のみなさんに『金澤はすごい』『これは金澤が一番だ』という印象を与えられていると思います。肩は素晴らしいプロポーションをつくるための絶対条件ですが、歳を取ったら大きくするのは一苦労です。でも、そういう苦労は大会で優勝すれば消えていきますから、まだまだ現役でがんばってみたいんですよね」
若い頃のトレーニングの原動力は、日本一への執念や肉体美の追求だった。しかし、今の思いは少し違うのだと言う。
「人生を懸けて、私が生きた歴史を世の中に残したい。最終的には90歳まで現役を続けたいと思っていますよ。それに、私が挑戦を続けることで、世の中の高齢者のみなさんの希望になれればと思っているんです。双子姉妹で長生きした成田きんさんは107歳、蟹江ぎんさんは108歳までご存命でしたけど、おふたりは筋トレをしていなかったですよね。私は130歳まで生きてみたいんです。不可能だと言われるかもしれませんよ。でも挑戦する意志があれば、それが可能になるかもしれない。質素で健康的な食事とトレーニングを続けていたら、その目標に届くかもしれない。私はそういう希望を持っているんです」
20代から始まった鉄人ボディビルダーの挑戦は第2章へ突入している。競技者の枠を超えた“人間としての限界”に挑む生き様は、多くの人々を勇気づけていくに違いない。
取材・文/森本雄大
写真提供/金澤利翼
写真(大会)/木村雄大