梶原颯、30歳。甘いマスクとギャップ満点の筋肉でファンを魅了するイケメン俳優だ。抜群の運動神経を持つ彼は、2017年に放送された『最強スポーツ男子頂上決戦』で、モンスターボックス(巨大跳び箱)21段を成功させて初登場2位。
『SASUKE』では2022年に1st、2ndステージで最速クリアタイムをW更新し、先日25日の放送でも1stステージを44秒17残しの爆速で突破した超人だ。そんな梶原の原点は誰もが知るアクションスターだった。
【動画】SASUKE最速の筋肉超人!梶原颯のウルトラトレーニング
“目立ちたがり”から始まったアクロバット
――ウルトラマンブレーザー(2023放送)でバンドウヤスノブ隊員を演じたこともあり、梶原さんはマッチョなヒーローというイメージです。ちなみに、子どもの頃にあこがれたヒーローはいますか?
「ジャッキー・チェンですね。『酔拳』とか『プロジェクトA』などの映画作品を見て、心をつかまれました。アクションですから、来るのがわかっていて避けているんですけど、当時は本当に全部避けていると思いましたから、『こんなの誰にも負けないやん』と思って憧れましたね。直感的に、ジャッキー・チェンのようになりたいと思いました」
――それが原点なんですね。ジャッキーに憧れ、学生時代から体を鍛えていたのでしょうか?
「筋トレはまったくしていなかったですね。学生時代はトリッキング(武術、体操、ブレイクダンスなど、アクロバットな動きを組み合わせたエクストリームスポーツ)にハマっていて、とにかく技を練習したいという感じでした。それ以外は勉強に力を入れていたので、受験にまっしぐらだったと思います。ただ、筋肉質だったのか、子どもの頃から腹筋はつねに割れていました。割れていない自分の腹を見たことがなくて(笑)」
――今でもInstagramでアクロバットなパフォーマンスを投稿されていますね。
「はい。アクロバットな動きをしていると、自然と体幹も鍛えられますし、飛んだり跳ねたりする瞬発力も磨かれたのかなと思います」
――トリッキングを始めたきっかけは?
「子どもの頃から目立ちたがり屋だったんです。中学生の頃はサッカー部に入っていて、フォワードだったんですけど、ゴールパフォーマンスで宙返りしたりする外国人選手がいるじゃないですか。それを見て自分もやってみたいと思いました。当時から体を動かすのが好きで、他の子より上手くできたこともあって、運動には自信があったので目立ってやろうと。あとは、テレビ番組の『ザ・ベストハウス123』でトリッキングが紹介されたのもきっかけになりました。砂場で宙返りしたりして、こっそり練習していました」
――抜群の運動神経で、運動部でも大活躍だったでしょうね。
「そんなことないですよ(笑)。中高一貫校の進学クラスに通っていたんですけど、運動部がほぼ全国レベルだったので、入部するのは推薦で入った選手ばかりだったんです。進学クラスも一応入れるんですけど、実際に入っている生徒はひとりもいなかったですね。勉強の息抜き用にバスケ部二部、サッカー部二部とかが用意されていて、そっちに入って遊びレベルの運動しかしていませんでした。ただ、体を動かすことはずっと好きだったので、大学はスポーツ関係に行きたいと思っていました」
――それで体育の名門・順天堂大学に進学されたのですね。ということは、所属していた体操部も未経験から!?
「そうなんです。素人で体操部に入ったんですけど、もちろんスポーツ推薦で入ってきた選手ばかりで、未経験で入部したのは史上初だと言われました。トリッキングをずっとやっていたので、その動きを活かしたいと思って体操にしました」
――体操部だと体も鍛えられそうですね。
「筋トレをやり始めたのはこの頃からですね。部員がみんな体を鍛えるのが好きでしたし、ジムもありましたから。まだ本格的なトレーニングというレベルではなかったですけど、このあたりからコツコツと鍛え始めました」
――そこから芸能界を目指すようになったきっかけは?
「大学時代にスーツアクター(着ぐるみ着用で殺陣やスタントなどの演技をする俳優・スタントマン)のアルバイトをしていて、それがきっかけで芸能界に興味を持つようになりました。舞台にも出させてもらうようになって、ステージに立って自分を見せる仕事で、アクロバットなパフォーマンスが活かせるのがうれしかったです。そういうことが得意な俳優はまわりにいなかったので、自分の武器だと思いましたし、アクロバットを使った舞台をもっと経験したいと思いました。それでアクション俳優を目指すようになって、芸能界への挑戦を決めました」
(中編に続く)