筋肉で輝き、そして苦労した人生 ドM根性がつくった迫力ボディとスゴイ実績【青木マッチョ(中編)】




極太の上腕に180cm、90kgの体格。お笑い界においてトップクラスの筋量を搭載する青木マッチョは、2024年に『ラヴィット!』に出演すると一躍注目を集めるようになった。

【インタビュー動画】ブレイク中「脱がないマッチョ芸人」はなぜ生まれたのか!?

「脱がない」「元気ない」という今までの筋肉芸人とは真逆のスタイルが人気を博す彼の原点は、「地元で絡まれたくない」の一心で始めた筋トレ。だが、高身長と鍛え上げたボディが相まって、どこに行っても注目される“マッチョ”へと変身してしまった。

「高校時代は県ベスト8のラグビー部に所属していて、光栄なことに1年生からレギュラーに選んでもらいました。足は速かったんですけど、まわりを見たりとか球技的なセンスがゼロだったので、スタメンの中でもダントツで怒られていましたね。本当に地獄のような3年間で、筋トレで成長を感じられることが唯一の救いでした」

高校卒業後は消防士の道に進んだが、ここでも筋肉が目に留まり大役を任された。通常は4~5年目からしか配属されないレスキュー隊に初年度から招集されたほか、救助技術を競う大会の代表メンバーに大抜擢。「やるからには結果を」とストイック魂がうずき、気づけば成績は東海3県で1位、6年目には階級も副隊長になっていた。

ラグビーに打ち込んだ高校時代(写真提供/吉本興業株式会社)

平穏な人生を望むが、気づくとその筋肉によって高い期待を持たれていく。そんな中で奮起して己を磨いたからこそ、今の青木マッチョがあると言っても過言ではない。

「完全にドMでしょうね(笑)。筋肉とか見た目で判断されるんですけど、フタを開けたら見た目通りのやつじゃないんですよ。そのギャップを少しでも埋めるためにずっとがんばってる感じですね。『もし筋トレやってなかったら今日ジム行かずに帰れるのにな』とか思う時もありますけど、人生トータルで見たらすごく筋肉に救われているので感謝しています。ここまでくるとやめられないですよね」

消防士時代(写真提供/吉本興業株式会社)

そんな彼の人生の転機は24歳の時、消防士を辞めてお笑い芸人を志したことだ。安定した生活を捨てて人生を選択することは、初めて自分の意思で行なった「楽しさ」を追い求める行為だった。

「兄が結婚してマイホームを建てたので、『自分はもう親を安心させなくても大丈夫だな』と思ったのと、消防士としての適性に厳しさを感じていたので、次の道を考えるようになりました。お笑いは小さい頃からずっと見ていて憧れでしたし、芸人の方々を見ると、たとえ売れていなくてもすごく楽しそうなんですよね。そういう中に入って、自分も楽しく人生を送ってみたいと思ったのが一番大きかったです」

芸人デビューまでは1年間筋肉をひたすら錬成する期間にあてた。芸能界を生き抜くためには武器が必要。それは筋肉だと確信したからだ。

「とにかくトレーニングに全振りした1年を送りました。食事もたくさん摂って、トレーニング強度も上げて追い込みましたね。当時は体重が110kgくらいあって、体脂肪率は10%を切るくらいには仕上がっていました」

桁外れのボディを武器に芸人界に乗り込んだ青木マッチョは、NSC(吉本総合芸能学院)で出会った赤木ぼうず(現・赤木細マッチョ)、鈴木ロン毛とトリオ「かけおち」を結成。ド迫力ボディをお笑いのステージで披露する。かと思いきや……?

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