泉風雅の筋肉物語・ミスター東京編完結 いざ日本トップランカーへ




あれは2019年の夏のこと。当時、“ボディビルの掛け声ブーム”の火種となった学生ボディビル(学ボ)に注目し、各大学を訪問する取材を進める中で、名門・早稲田大学バーベルクラブのメンバーを突撃した。2017年に学生選手権優勝、2018年は日本ジュニア選手権で優勝。同年の学生選手権ではスーパールーキー・相澤隼人(当時・日本体育大学1年)に敗れて2位となったものの、最終学年での巻き返しに闘志を燃やしているだろう泉風雅を主役に据えるつもりで彼らに会った。だが――。残念ながらそこにいた泉は、我々の期待する泉ではなかった。

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“風前の灯火”と形容するのが、良くない意味でベストマッチだった。あの日の取材は、「今年の学ボに向けて」というありきたりな問いを最後に投げ、彼の「隼人君に一矢報いたい」という定型文の答えを受けて終えた。今思うと、なんて無難で面白みのない形にしてしまったのだろうかと反省ものだが、「今年、彼は出場しないかもな…」と心の内で感じながらのインタビューであったことを覚えている。

あれから6年――。
7月21日に行なわれた「第60回東京ボディビル選手権」、通称ミスター東京のステージで泉風雅は、持ち前のアウトラインの強さとポーズをとったときのインパクトを見せつけ、見事に金メダルを獲得した。件の取材後、コロナ禍の影響もありステージから一時的に離れて2023年に復帰。カムバック3年目での完全復活劇だ。

上位争いには間違いなく絡んでいくとは思っていたが、やや強みと弱みがくっきりと見えるタイプであり、弱点の少ない選手に軍配が上がりがちな近年のJBBF(日本ボディビル・フィットネス連盟)の審査傾向から見ても、彼を優勝と予想する者は多くはなかったように思う。その見解を覆した要因は、どこにあったのだろうか。

「1月、2月は肩の怪我もあってトレーニングが制限され、3月も髄膜炎で入院。かなりまずいスタートだったんですけど。でもそれでちょっと焦りが出たというか、計画を立ててしっかり実行していくみたいなことができたので逆に良かったのかもしれません」と振り返る。

ステージにおいては、ゴリ押し感のあったポージングから、規定ポーズ・フリーポーズともにポーズ間のつなぎや、プレアクションに美しさが加わりスケールアップ。本人も弱点だと認知する大胸筋の力強さも、そうは見せないポージングの巧みさでカバーした。ポージング指導に定評のあり、昨年この大会を賑わせた刈川啓志郎らも集まる横浜マリントレーニングジムに通った成果であろう。

「自分はやりたいことばかりをやってしまう人間だったのですが、もっとこの部位をこう鍛えたらいいとか、こういう動きをできるようにならないといけないなど、毎週具体的に教えてもらいました。世代が近く、一緒に並ぶ仲間もいたことで成長できました」

次戦は3週間後に大阪で行なわれるジャパンオープン選手権。昨年も4位と十分な好成績を収めたが、今年はミスター東京の看板を引っさげての参戦となる。

「日々のトレーニングをしっかりやるのはもちろんですが、去年は良い状態をつくってから、その維持ができませんでした。いま良い状態に入っていて、そこからどうしていくかが今年のテーマです。自分の中での計画はあるのでそれを実行してステージに立ちます」

消えかかった炎を再びたぎらせ、再上昇の足掛かりをつくった泉。相澤、白井大樹、喜納穂高、刈川ら近年の東京王者はそのまま日本選手権ファイナリスト入りしている選手も多く、彼もその流れに乗っていけるか。これまで彼の名前に付された「元ジュニア王者」「元学生王者」の肩書はもう必要ない。『ミスター東京・泉風雅』として、日本トップを目指す新章がスタートした。

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