幼少のころからピアノを弾いていた少女は、あるときアナウンサーを志す。しかし、就職活動がなかなかうまくいかない。そんなときに出会ったのが「人力車」。そういえば小さいころに祖父と乗ったことがあった。その祖父とはラジオをよく聴いていた。あ、ラジオのDJという道もあるか…。点と点がつながった“人力車店長DJ”関森ありささんの物語。全3回の最終回は、人力車を引くコツや関森さんからのメッセージについて。
体力は勝手についていって、筋トレをすると逆に筋肉痛に

人力車を始めて7年、DJになって6年が経過した関森ありささん。人力車で一番難しいのは、まず乗ってもらうことだという。
「雷門前でお声をかけるところからスタートするんですが、お客様が決まらないと走ることすらできないんです。俥夫として自分の個性を出す、これは多くの俥夫が最初に苦戦する部分です。ラジオの1年目のときには裏方をしていて今後どうなるんだろうと不安な時期もあったんですが、人力車の社長に『とりあえず目の前のことを一生懸命やる。一生懸命がんばっていくと面白い人生になるから』とアドバイスされて、私の目の前には人力車もラジオもある、この両方をがんばっていこうと前向きな気持ちになれました。
最初はなかなかお客様が決まらなかった人力車ですが、お声をかけ続けるうちに少しずつ増えていって。コミュニケーションの技術だけではなく、どれだけ楽しいものかを気持ちで伝えるようにしています。やっぱり最初は、女性の俥夫だと不安だと思われる方も多くて。今は逆に珍しさで乗っていただけることも多くなりましたね。ご夫婦の記念日にいつも乗ってくださる方がいるんですが、奥さんが車いすでサポートするには女性の方がいいと乗っていただいています。女性俥夫ならではの強みもあると思いますね」
最初は5分でばてていた人力車も、今では1回平均30分~1時間ほどのコースを何周もする。
「体力的には、全然余裕です(笑)。研修と実践で、人力車をひく体力はついていきます。最初ぽっちゃりしていた子も、研修を経て引き締まっていきますよ。坂道のコースを何回も練習したり、70分コースを2回連続で走ったりするので。私も勝手に体力はついていって、逆に筋トレをしたときに筋肉痛になったくらいで(笑)。使っている筋肉が全然違うんでしょうね。1回ハーフマラソンに出たことがあって、俥夫の格好で足袋を履いてラジオのネタにもなると思って。足袋の底に硬い板とクッションが入っていて、スニーカーより疲れないんです。あと滑りにくいですね。21km走り切ったんですが、さすがにそのときは2週間ほど筋肉痛になりましたね。
それよりも、お客様に声をかけられるかどうかのメンタルですね。その声掛けがきつくて、やめていく子は少なくないんです。例えば私の場合だと、1ヶ月に15日出勤して1日に10人のお客様の乗っていただいたとすれば、年間で1000人以上の方と会話ができるんです。いろいろなお客様がいらっしゃるので、対応力はつきますね」
人力車というと筋骨隆々の男性のイメージも強いかもしれないが…。
「私の経験上、筋トレで使う筋肉とは違うみたいなので、別で鍛えている“見せ筋”のような気がします(笑)。私、筋肉って全然ないんですよ。人力車は“コツ”です。逆に筋肉のある人のほうが、筋肉で動かしちゃうからばてていますね。筋肉ムキムキな子が研修で人力車を引くときも、最初はいいんですが力で引き過ぎて徐々にばてていく感じで。
逆に筋肉のない方がテコをうまく使うようにコツをつかみやすいと思います。そもそも今の人力車は明治時代に作られているので、その時代の男性の平均身長(150cm半ば)に合わせて引きやすいようになっているんです。私は155cmくらいなのでちょうどよくて、女性でも全然大丈夫です」
人力車店長になってアナウンサー試験の挫折が活きてきた

関森さんは今年1月から「観光案内人力車 天下車屋」浅草店の店長に就任したが、ここまでがんばってこられたのは浅草の方々のおかげだという。
「私、浅草という街が大好きなんです。休みの日でも浅草に行って、お笑いのライブを見にいくこともあります。浅草リトルシアターという30席くらいの小劇場があるんですが、コロナ禍で客席に私一人しかいないときがあったんです。芸人さんが私一人のためだけに一生懸命全力でやってくださって、そのときに人力車もラジオも目の前のお客様・リスナーが120%満足していただけるようにしたいと思うようになりました。
あと浅草は私と同世代やちょっと上の30代前半の女性で自分のお店を持っている方々も多くて、その方々のがんばりを見ていると私も浅草のためにがんばりたいなと思いますね。浅草は神社やお寺も多くて七福神巡りもできるので、お客様とお話をして、恋愛や仕事の成就に合わせていく場所を決めることもあります。一番元気をもらえるのはお客様の笑顔ですが、そのお客様を案内するお店や街からも元気をもらっています」
関森さんは店長に昇格後、浅草俥夫連絡会という同業他社が集まる会合にも出席している。
「浅草には20社ほど人力車の会社があって、出席者で女性は私だけです。店長のお話をいただいたときには、レインボータウンFMをやめることになるのかなと思ったんですが、副業でもいいと(笑)。人力車もラジオ局も柔軟な会社で助かっているのですが、男社会の人力車でもがんばっていれば女性も活躍できるという職場にしていきたいという気持ちもあります。店長になってからは採用面接や研修が増えたんですけど、自分が面接する側になってスペックや経歴よりも、謙虚に素直にがんばっていけるのかという人間性を重視するようになりましたね。
研修で挫折してやめちゃう子もいるんですけど、厳しいだけではよくないですし、その間にプライベートの話をしてコミュニケーションの楽しさを知ってもらいつつ、距離を縮めていく……今も勉強の日々です。あと浅草の街の方々とどれだけコミュニケーションを取っていけるのかは意識していて、一緒に浅草を盛り上げていきたいのでいろいろなお店とコラボしています。ここにきて、アナウンサー試験の挫折が活きている感じはしますね。そういう経験をしてきたからこそ、この記事を読んだ方が『こういう人生もあるんだな』と前向きになっていただければいいなと思います」
関森さんのLINEの待ち受け画面には、小学生のときに祖父と二人で北海道・小樽で人力車に乗った写真が設定されている。祖父が愛したラジオ、そして祖父と一緒に乗った人力車。その2つが関森ありさという唯一無二の「人力車店長DJ」の礎となっている。
