ボディビルのトップ選手でありながら、日本を代表する筋肉研究者としても活躍。スロートレーニングや加圧トレーニングで世の中の常識を変えた石井直方・東京大学名誉教授(享年69)の書籍『石井直方 最終講義 筋肉まるわかり大事典』が発売された。その監修を務めた谷本道哉教授(石井研究室出身)が筋肉界の巨人から学んだこととは。

――前編では石井直方教授のトレーニング界における功績についてお話を伺いました。谷本先生にとって、石井教授とはどのような存在だったのでしょうか。
「東大の石井研究室(以下、石井研)に入ってくる人間はみんなそうですが、最初はあこがれですよ。ただ同じ空間にいられるだけで幸せを感じるような存在でした」
――その魅力とは?
「研究面だけで活躍されている方だったら、あこがれの対象にはなりにくかったと思います。先生は研究だけでなく、筋肉や筋トレのさまざまな情報を社会に発信をされていて筋トレ好きの間では有名でした。その背景には、ボディビルで日本選手権を獲ったり、世界選手権でも活躍されたり、東大卒で東大の教員だったりと、とんでもない実績もあります。こんなすごい人がいるのか……、その人のもとにいけば何かができるんじゃないか、という思いがありましたね」
――サラリーマンをやめて石井研に入ったのは2000年ですね。
「そうです。石井研は本当に充実した環境でした。研究の合間には駒場キャンパスのトレーニング体育館で筋トレをしていたのですが、石井先生もよくトレーニングされていました。先生が40代後半の頃に一度ボディビルの大会にカムバックされた時は、体がみるみるデカくなっていったのを覚えています。大会が近づくと今度はみるみる脂肪が落ちて、研ぎ澄まされていくんです。東大のボディビル&ウェイトリフティング部にもデカい選手はいましたが、まるで別次元でした。初めてワールドクラスを目の当たりにした感覚でしたね」

――研究者でありながら、世界的なビルダーでもあるという時点で普通ではないですよね。
「トレーニングもすごかったですが、やはり純粋に頭脳が天才的だった、頭がよかったと思います。能力的にはノーベル賞を取ってもおかしくないくらい。何でもできて、いろいろなことに手を出されていましたので、一つを掘り下げるノーベル賞タイプではなかったと思いますが。頭がよくて理解度が高いのはもちろん、難しい研究内容を一般向けに簡単にわかりやすく説明できるというのもすごい能力だったと思います」
――たしかに書籍も読みやすく、わかりやすかったです。
「あと僕はいろいろなところで話すのですが、とても柔軟なんですよ。考えはつねに変わっていくものという姿勢が基本にあったと思います。以前とまったく違う意見になっていることもよくあって、『研究背景も変わっているし、僕の考え方も変わっているから』とよくおっしゃっていました。また、僕は研究室の中ではかなり先生に異論をぶつけるタイプだったのですが、それに対しても真剣に耳を傾けて聞いてくださいました。そういう懐の大きさは並外れていましたし、研究者の姿勢として学ぶべきだと感じましたね」
――いつも笑顔で、やわらかい方という印象が強いですね。
「そもそも石井研は変わった人が多くて、まわりに媚びたり歩調を合わせたりすることができない人の集まりなんです(笑)。それも石井先生が寛容に受け入れてくださるから成り立っていたと思います。学内ではやや浮いた研究室でしたね。ただ、先生も柔和に物事を進めますが、まわりに合わせて自分の意見を変えたりすることはしない方でした」
がんにも筋トレが有効?

――その後、石井教授はがんに罹患され、長年にわたって闘病されました。その間も研究はもちろん、病室でスクワットなどの筋トレを続け、書籍やテレビなどで情報発信を続けましたね。
「『いのちのスクワット』という書籍を執筆されましたが、現在はがん治療の一環として運動の効果が注目されてきています。先生はご自身の体で体験されたわけですが、それは学術的な理論にも基づいています。たとえば、その本でも紹介されていますが、薬剤を使ってマウスの筋肉を大きくしておくと、がんになっても正常なマウスと同じくらい生きるという実験報告があります。そのまま人間に当てはまるかどうかはわかりませんが、類似の方向性はあるはずです。つまり、筋トレをして筋肉をつけておくことが、がんに対しても有効であろうと考えられてきているわけです。日本は少し遅れていますが、アメリカなどでは運動ががん治療にも有効だろうという考えがメジャーになりつつあります」
――最後まで研究界と一般社会の架け橋であることを全うされたんですね。
「真の研究者だったと思いますし、筋肉の伝道者でもあったと思います。そうであることが先生自身も幸せだったのではないでしょうか。また、他の人の研究を否定しないという姿勢も先生の特徴でした。我々はちょっと違うんじゃないかと感じたらそれを言ってしまうのですが、先生は一切言わない。僕の後輩が『なぜですか? あの研究はよくないじゃないですか』と言ったら、先生は『君は半人前だな。否定するばかりが科学じゃない。どんなものにも学ぶことはあるから、そこを見ておくべきなんだよ。この研究はよくないという考え方をしているうちは、いい研究者になれないよ』とおっしゃったそうです。僕自身、おかしいなと思う研究には「なんだコレ?」と思ってしまうので、まだまだ先生の領域には達していないと感じます(笑)」
――逝去後も先生の書籍が出版されていますが、それも大いなる遺産ですね。
「はい。今話したような先生の物事の考え方なども書籍の文言の節々に反映されています。筋肉に関する貴重な情報を得られるのはもちろんですが、物事を深く考える姿勢を学びたいという人にも役立つ部分がきっとあると思います」
