プロレス解説者の柴田惣一さんが取材した「プロレスのアレコレ」を紹介する「柴田惣一のよもやま話」。デスマッチ戦士の破天荒な生き様の後編は「弾丸戦士」田中将斗のとんでもない体験。死にかけたのに「髪をもっと大切にすべきだった」と思わぬところで反省している。
リングでケガをしても、休むわけにはいかない。今でこそ、ちゃんと治療してきちんと治すのが当たり前となっているが、以前のレスラーは「休むのは恥」「ケガは試合をしながら治す」のが常識だった。
これは通常ルールでもデスマッチでも変わらない鉄則だった。レジェンドたちも「休ませてください、なんて言ったら試合を組まれなくなってしまう。先輩のやり方を見様見真似で、自己流の治療法を試したものだ。それが何とかなったんだよね」と苦笑いしながら振り返っている。
現在では「信じられない!何てことをしているのだ」という話でも、自己体験に基づいた独自の治し方も、通用したのがプロレス界。今ではリングドクターやトレーナーが身近におり、最新の科学的治療を受けることができる。
とはいえ前回、ご紹介した「デスマッチのカリスマ」葛西純も驚きそうなレスラー伝説が語り継がれている。「弾丸戦士」田中将斗のとんでもないエピソードである。
田中は日本人初の米ECW世界ヘビー級王者。ECWは1990年代から話題を集めたハードコア団体で、凶器の使用OK、リングアウトカウントの廃止など、完全決着を売りとした。流血は当たり前のデスマッチが日常のファイトスタイルで、熱狂的なファンを呼び込んだ。
FMWでハードコア戦士として名を馳せた田中をして「あんなことは二度と嫌だ」と顔をゆがめる「事件」は98年5月27日、今は亡き福岡・博多スターレーンのリングで起こった。
先代のハヤブサと組んだ田中は、冬木弘道、金村ゆきひろ組と世界ブラスナックルタッグ王座をかけて激突した。机を使用することなど朝飯前。4人が4人とも当然の様に机にブチ当て、放り投げていた。
たまたま机が危険な角度で破壊され、薄く鋭いカミソリのような破片が出来上がってしまった。田中は「これはまずい」と感じたが、冬木は「しめしめ」とニヤリとしていた。
田中の頭頂部に「カミソリ」状の机の破片が振り下ろされた。「スパッ」という音がしたという証言もある。
頭皮がスライスされ、頭頂部から大流血する田中。セコンドが恐怖に固まりながら「頭蓋骨が見えています」と小声でささやいていたのを、田中は昨日のことのように覚えている。後になって金村が「びっくりしたわ。頭の皮がペッタンペッタンしているんだもの」と回想している。
それでも試合は続けられた。リングドクターは不在で、レフェリーストップもあり得なかった……。
試合後、医者に駆け込んだ。「これはひどい。傷が頭蓋骨まで達している。ばい菌が脳に入ったら死ぬよ。危険な状態」と医者もあきれ顔で「即入院」と診断された。
それでも当時のFMWでは「ケガをしても試合をするのが格好いい」が不文律だった。命に係わる大ケガなのに、周囲の圧も凄かった。
「休みません」と田中は口にしていた。「間違いなく死ぬよ」と怒る医師に頼み込んで、応急処置をお願いした。頭蓋骨の上にビニール状のシートをかぶせて頭皮を固定してもらった。
抗生物質をたくさん飲み、頭を包帯でグルグル巻き。ヘッドギアを着用して、リングに上がり続けた。この時のダメージからか毛根がすっかり弱ってしまった。「髪は長い友達なのに……。大切にすべきだった」と悔やんでいる。
強い、頑丈、黒光りするほどの日焼け。ベテランになった今でもコンディションは良好で、リング上では恐ろしいほどにハードな試合を続けている。家では双子の良きパパである。そのギャップが、田中将斗の魅力だ。(敬称略)

