“突如彗星の如く現れ”…と言っては、高校三冠王者に失礼か。
2007年、高校生ながら天皇杯全日本選手権フリースタイル74キロ級に初出場を果たすと大学生、社会人の強敵を次々と倒し、決勝戦へ進出。優勝候補筆頭の長島和幸に対しても一歩も引けを取らず、最後はクリンチ勝負で敗れたものの堂々の準優勝。
当時、流行った「ハンカチ王子」(プロ野球・北海道日本ハムファイターズ斎藤佑樹)、「ハニカミ王子」(プロゴルファー石川遼)と並んで「タックル王子」と呼ばれた高谷惣亮(京都・網野高⇒拓殖大⇒ALSOK)の快進撃はここから始まった。
以後2020年まで全日本選手権10連覇。人気&実力を兼ね備え、日本レスリング界を牽引してきた高谷は2012年ロンドンオリンピック、2016年リオデジャネイロオリンピックに出場。そして、今年5月世界予選を勝ち抜き、この夏の東京オリンピックに挑む。
オリンピック初出場のロンドン大会では残念ながら初戦敗退に終わったものの、2014年世界選手権では銀メダルを獲得。リオデジャネイロオリンピックでは、「日本人中量級選手には難しい」とされていた7位入賞を果たした高谷の次なる目標は金メダルだ。
「ロンドンがダメで、リオで入賞。そうなると、東京ではメダル獲得、いや金メダルでしょ。自分ではそう考えています。僕はひたすらポジティブ。体の8割はポジティブで、残りは優しさでできていますから」
そう語っていた高谷がリオデジャネイロオリンピック後の2017年、自らのレスリングを徹底的に見直し、レスリング界に“革命”を起こすべく門を叩いたのは身体療法家であり、スポーツトレーナーの松栄勲だった。
高谷とは京都・網野高の同期であり、いまも体をケアしてもらっているトレーナーの山根将貴が弟子入りし、高谷に紹介された松栄は、世界各地を巡り修練と手技療法研究を重ね、【マツエセラピー】を確立。「世界一の名医は自分自身」との考えをもとに「痛くない側のカラダを動かし、リラックスするだけで、痛みは自分で治せる」【VIM理論】の創始者だ。長年、日本代表として活躍しているサッカー選手をはじめ、国際大会出場経験を持つプロ野球選手、スノーボードとスケートボートでオリンピック代表となったアスリート、ウィンブルドン出場のテニスプレーヤーなど数々のトップアスリートを指導してきた実績を誇る。
私は長年レスリングの取材を続けてきたが、レスリング選手が個人的にトレーナーを見つけ出し、指導を仰いでいる例は極めて珍しい。松栄に当時28歳の高谷が求めたのは、「年齢にあったムダのないカラダの動かし方」と「ケガをしないためのトレーニング」だった。
「僕の最大の武器であるタックルは突っ込んで下から獲っていく“クワガタタックル”。でも年々、獲り難くなっていて。『納得できる、もっと楽しいレスリングをしたい』と思うようになっていたんです」
松栄は高谷を診るやいなや、「背中が小さい」と指摘した。
「よくトレーニングしてきた立派なカラダでした。大胸筋や腹筋は素晴らしかった。でも、背中が小さいなと。広背筋や僧帽筋はまだまだでアンバランス。ウエイトトレーニングに頼り過ぎでいたんでしょうね。私はレスリングに関しては素人ですが、これでは押したり引いたりする際にもったいないカラダの使い方をしていると思いました。自分の能力を活かしきれず、ケガも多かったでしょう。でも、カラダを鍛え直し、上半身と下半身の連係をよくすれば、伸びシロはある。間違いなく、無限大に。賢い選手ですし、方向性さえしっかり示してあげれば黙っていても努力する子ですからね」
キーワードは“安定化機構”。
松栄は高谷が弱く、使えていない後背部とともに、ヘソから股関節にあけての腸腰筋、腹斜筋、腹横筋などを徹底的に鍛え、カラダの使い方を細かく指導。同時に施術も行ない、半年もすると痛めていた肩や腰、ムリし続けてきた足首やヒザ、手首はすっかりよくなり、肉体改造にも成功。VIM理論に基づくトレーニングで全身のバランスが保たれ、筋質力、柔軟性、関節の可動域が格段にアップした。
松栄が「まるでヘラクレスにようになった」と言えば、本人も短期間での変化を実感。レスリング的には、構えが驚くほど安定してきた。レスリングに限らず、“構え”といえば「低く」が決まり文句。指導者はみな口癖のように「構えが高いんだよ。もっと低く構えろ」と言う。だが、松栄は「深く」と教えている。
「高い、低いではない。下半身を下げるわけですから、結果的に低くはなりますが、『深く』という意識。大事なのは重心。いかに安定しているか。かたくなく、やわらかく」
結果、高谷はカラダの中心から動けるようになり、上半身から下半身がつながり、なめらかな動きのなかで手だけでなく、常にカラダ全体で闘えるようになった。また、故障がちで、ここ数年はいつもカラダのあちこちを痛めていたものの「年齢的に仕方ないか」と諦めていたが、カラダを局部的に使うことがなくなり、ケガすることもなくなった。
さらに、メンタル面でも効果は大きかった。高谷は「構えが深くなってからは相手がよく見えるようになり、どんな相手でも怖さがなくなりました」と自信を込めて語る。そしてもうひとつ、松栄の指導を受けるようになってから高谷には自らの体重についても大きな決断をした。階級アップである。
「高校2年生から2017年の世界選手権までずっと74キロ級で闘ってきました。でも、30歳を前に体重が落ちなくなり、減量がきつくなってきた。試合当日計量に変わったということもありますが、階級を考えました。極論かもしれませんが、『ムリして闘うのはスポーツじゃない。過度な減量は人をダメにする』という考えを持っていましたから」
それに対して、松栄も高谷の考えを支持した。「とにかく減量して、本来の体重よりも軽いところで勝負。それが日本のレスリングでしたけど、私は『自分が中心。自分のレスリングができるのはどの階級がベストか』を考えるべきだと。だから、高谷選手が階級をあげると言ったとき、私は賛成して、後押ししました。彼ならムリな減量をするより、ベストなパフォーマンスを発揮できると信じていましたから」。
高谷は2017年暮れの全日本選手権からフリースタイル79キロ級にアップ。+5キロにしっかり仕上げてきたカラダは同階級の誰よりも大きく、艶があった。試合が始まると、パワーでほかの選手を圧倒したばかりか、スピードはむしろ74キロ時代よりも磨かれていた。そのうえ、国内ばかりか、ワールドカップでも外国人選手に力負けしなかった。
そして1年後の2018年全日本選手権、満を持してオリンピック階級の86キロ級にアップ。74キロ級から比べたら、なんと12キロアップ。高谷が所属するALSOK大橋正教監督は驚きを語った。
「アップしたなりのカラダつきにしっかり仕上げてきましたね。日々料理をつくり、栄養面で支えてきた奥さんがいてくれたからこそでしょうが。安定感も増して、攻撃の幅がさらに広がりました」
さらに、オリンピックが一年延期された2020年、12月の全日本選手権は既にオリンピック代表内定を得ている選手の多くが出場を辞退したが、高谷は国内で敵なしと思ったか、この大会限定で92キロ級にアップ。それでも、パワー負けするどころか失点ゼロの完全優勝。
「パワーでくる選手にパワーで返そうとしてもダメですけど、カラダをうまく使えるようになったので相手のパワーを感じない。重心がブレずに安定して、崩れないことだけ気をつけていれば、押してくるヤツには余裕です」
いま高谷は日本レスリング界で「もし、レスリングに無差別級があれば、高谷がフリースタイルのチャンピオンだろう」と評されている。松栄は2017年以降ほぼ週一ペースで高谷を指導している。チェックするのは、構えとカラダの動き。
「どんなに優秀な選手でも、体調や疲労度、精神的な部分などさまざまな要因でコンディションは変わり、構えや動きも微妙に変わってくる。そこをチェックします。全体を診て、構えたときの足や手の位置・向き、ヒザや腰の高さ。上半身と下半身がうまくつながっているか。上半身だけで押したり引いたりしていないか。体全体から上半身、下半身、もっとしぼって局部的な点まで段階を分けて細かくチェックします」
松栄が得意とする「動作解析」だ。そして、悪いところがあれば、すぐに何千とある引き出しから必要なエクササイズを引っ張り出してすぐにやらせ、修正できたかどうか再度確認。コロナ禍でもテレビ電話やZOOMなどを駆使して、休むことなく指導中。全日本合宿でも、高谷はひとり、松栄から課されたトレーニングメニューを黙々とこなしている。
国内大会はもちろん、海外で開催される大会にも松栄は極力帯同してきたが、コロナでそれもままならず。それでも、試合当日、朝の計量が終わると高谷は映像を送り、松栄がその場でチェック。2、3の修正エクササイズを行い、万全の体勢で試合に臨んでいる。
「試合前、かける言葉…ないですね。お互いわかっていますから。『いいよ』と一言かけるぐらいですかね」
高谷には、その一声が何よりも力になる。
「安心するというか、落ち着きますね。試合の怖さはなく、むしろ余裕を持ってマットに上がれます。松栄先生には感謝しています。僕のためにレスリングの研究をしてくださり、遠く海外まできてくれて。世界選手権で思うような結果が出なかったとき、まわりはみんな遠巻きにして声をかけてきませんでしたが、松栄先生はすぐにホテルの部屋まで来てくれて。1時間ほど、目標は何なのか、それに向けてこれからどう練習していくかなどじっくり話し合ってくれました。本当にありがたいです。でも、100パーセント信頼しているとか、任せているというのとはちょっと違うんです。僕もアスリートですから、自分で考えなければいけない部分がある。そのうえで、的確に足りない部分、間違っている部分を指導していただいています」
松栄は言う。
「マジメな選手ですからね。黙っていると練習し過ぎ、ハードワークになってしまう。そこのところをうまく見極めながら、何度かピークをつくりながらオリンピック本番で最高の状態になるよう仕上げていく。調子のいいときをずっとキープすることはできませんから。そこを間違いないように。でも、大丈夫。彼の一番のよさは自分のカラダと対話できること。感覚が鋭いですから。それを言語化して、トレーナーにしっかり伝えることができる。やってくれますよ。私は信じています」
32歳で迎える3度目のオリンピック。それでも、高谷は「集大成ではない」と言い切った。
「松栄先生からも『2024年のパリオリンピックもいけるんじゃない』と言われますが、さすがにちょっとキツイかも。まぁ、いまそれを考えるときではありませんし。でも、自分の限界がどこなのか、それは僕自身わからないし、決めてもいない。自分のレスリングが完成するのはまだ早いと思っています。それより、楽しみです。地元で開催されるオリンピックで高谷惣亮がどんなレスリングをするのか。その先の金メダル獲得までは決まっていますけどね」
最後は気負いのない、いつもの高谷節が炸裂した。
取材&文・宮﨑俊哉