破天荒な言動とファイトスタイルで一時代を築いたミノワマンが、100㎏の大台を目指し大幅な肉体改造を行なっている。階級別、減量が主流の格闘技界にあって、なぜ時代に逆行するかのような試みに着手したのか。第2回からはミノワマンの思考を形成した“美濃輪育久”時代を数回にわたって深掘りする。
「プロレスラーになろうと思ったのは中学2年生の時」
——ミノワマン選手の思考を理解するには、ミノワマンになる前の少年時代にまでさかのぼる必要があると思います。プロレスを初めて見たのは小学生の時ですよね。
「初めて見たのは4年生か、5年生くらいの時ですね。父親がプロレスの大ファンで、テレビを一緒に見たというのが最初だったと思います。最初は怖いなと思ったんですけど、だんだんレスラーをかっこいいと思うようになって。5年生の時に初めて父親が生観戦に連れて行ってくれて、それで大好きになりました。完全に父親の影響です」
——その数年前には、いわゆるキン消し(キン肉マン消しゴム)が大ブームになりました。
「キン肉マンは兄貴の影響ですけど、キン消しも大好きでした。なかなかガチャガチャはやらせてもらえなかったんですけど、みんながほしいと思うキャラクターを手に入れた時はヒーローでした。当時は小学1年生から6年生までの地域の子どもが集まって分団で登校していたんですけど、低学年はなかなか上級生から相手にしてもらえないんです。でも、人気のキャラクターが当たった時は上級生が集まって来て、そこからは仲よくしてくれました。キン消しの交換とかもありましたし、コミュニケーションのツールになっていました」
——キン消しあるあるですね。初観戦の記憶は鮮明に残っていますか。
「最初は新日本プロレスで、最前列で観戦しました。ビッグバン・ベイダーが暴れている頃です。猪木さんはケガで出場していなかったんですが、ベイダーのカードが2対1のハンディキャップマッチだったのを覚えています。試合に勝ったベイダーが2階席に雪崩れ込むくらいの大暴れをしていて、自分が座っていた席のほうにも向かってきたんです。もう本当に怖くて、ダッシュで会場の隅まで走って逃げたのを覚えています」
——前回のインタビューでも触れましたが、その少年が218cm、150㎏超のチェ・ホンマンと向かい合ってワクワクするというのだからわからないものです。当時から、すでに将来の夢はプロレスラーだったのでしょうか?
「いえ、その時はただ好きなだけで、プロレスラーになろうと思ったのは進路相談が始まった中学2年生の時です。三者面談があって将来、何になりたいかということを話し合う機会が多くなってからですね」